本の感想

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小説 新坊ちゃん⑧ 歓送迎会

2023-07-03 23:40:00 | 日記

小説 新坊ちゃん⑧ 歓送迎会

 四月の末には数学科の歓送迎会というのがあった。全員参加で欠席は許されないという。わたしは歓迎されるほうだから当然タダだと思っていたがなんと三千円払えと言う。ここでつまらぬことを言うのもいけないと思い素直に払っておいた。一番偉そうにしている頭から油が噴出している年かさの男(北川というのだが思い出したくない名前である)が、乾杯の音頭をとって始まった。皆盛んにわたしに酒を勧める。わたしが飲めないとして断ると最初の内はああそうかと引っ込むがそのうち「なんやと俺の酒が飲めんのか」と絡んでくるには驚いた。俺の酒とは何たる言いぐさか、さっき目の前でわたしも三千円払ったではないかというようなことは思わないようにと自分の心をコントロールした。

 わたしは一切酒を呑まない家に育った。はじめ酒飲みは面白い人々だと思っていたがだんだん一緒にいるのが苦痛になってきた。そのうち頭から油噴出している男が猥談を喋り始めた。二、三人が大笑いするが残りは神妙な顔をしていた。もちろんわたしはその残りの中に入っている。頭から油男はその様子を見てさらにレベルの高い猥談をする。笑う人は四、五人に増えた。ああここは笑わないといけないところだと理解してわたしは次の話題のところでは笑った。年に二百数十万の安定した収入を得るためにはえらく手間のかかることである。

 宴がたけなわになるころ、頭から油男とその副官であるようなキツネ目の男(加山というのだがこれはもっと思い出したくない男である)が、その場に居ない教諭の悪口を言い始めた。あいつは頭が悪いとか、出世を狙っているようだが無理だろうとか、ついにはあいつは嫁さんは不細工なのを良く辛抱しているなとかもう考えられるありとあらゆる言葉が並べ立てられる。一番ひどかったのは校長は実は婿養子でちゃんと出世しないと家の中でお叱りをうける立場にあるのであるといった内容であった。よくそんなことまで調べがつくもんである。

そのうち今度の職員会議では某という女性教諭をつるし上げようではないかと相談を始めた。某は態度がでかいところがお二人のお気に召さないらしい。そこでちょっとした事務上のミスがあったのを大きく取り上げてこういう風につるし上げをしようと策を練っている。皆の前でやるもんだから陰謀になってない。事前に公開する陰謀というのは語義矛盾であるがお二人は酒の座でそういった陰謀をやっている。

 次の職員会議では確かに某さんがつるし上げに会った。人民裁判というコトバがまだ世間に流布されていた時代である。人民裁判を思わせるものがあった。その時の職員会議はひどく長かった。わたしは会議中居眠りをして目覚めたらまだつるし上げが続いていた。

はじめて学校はこんな風になっているのかと頓悟するところがあった。これは大変なところに来てしまった。学校の中はかかわりになりたくない人だらけである。あきらかに普通の社会と違う社会である。仕事の対価として給料があるのではない。この嫌な人々と付き合うからその我慢料として給料が支払われるのである。我慢料としては異様に安い。

これではこの夏休みにあるという職員旅行に参加させられるのが悩みのタネになった。わたしはどうやって夏の職員旅行の参加を断るか、断るときにどういう口実を構えるかに頭を悩まさねばならなくなった。この調子で旅行中二日も三日も猥談と悪口と陰謀と飲酒に付き合うのは御免蒙りたい。

今になってやっと気づいたのだが学校というのはこのような付き合いを強制することで、同僚の心を支配し辞められなくしているのである。宗教と同じ構造を持っている。自分たちは他の人々とは違う考えを持っているという意識、一緒に飲酒するという儀式への参加、他人を悪く言うことでの仲間意識の醸成などがある。宗教集団を抜け出すのは難しいと聞くが果たしてわたしは抜け出すことができるのか。抜け出すとして生活費をどうするのかなど問題山積を感じた。


小説 新坊ちゃん⑦ 禁煙に一挙に成功する

2023-07-03 21:25:14 | 日記

小説 新坊ちゃん⑦ 禁煙に一挙に成功する

 学校の先生になって一番困るのは授業中生徒が騒いで喧しいことである。(予備校とは全く違う。予備校では騒ぐ生徒が居たらベルを押せばいいことになっていた。すぐに職員がやってきてつまみだしてくれる。ただしわたしは五年間一度もベルを押す必要がなかった。)ただし学校では教える教材のレベルがめちゃくちゃ低いので毎日の勉強が要らなくなった。生徒の中には暴走族に入っているのが居て、もちろんわたしはそういう生徒とはかかわりにならないようにしていた。

その次に困ることは生徒が盛大に煙草を吸うことであった。どうやら昼の弁当を食したあとに特に盛大に吸うようで五時間目の授業の初めにすることはまず窓を開けて空気の入れ替えをすることであった。昼飯時には立ち番といって教師が廊下をうろうろすることになっていた。これも黒田の発案であるらしいが、眉間に縦の紋ある人に対してははまずハイであるから素直にわたしも見回っていた。当時わたしは葉巻やパイプたばこを愛用していたから、生徒の紙巻きたばこなんかはたばこの内に入らないようなもんで吸わしてやったらいいのにと密かに思っていたがそうもいかないようであった。

 六月のひどく蒸す頃であった。職員会議で黒田がいきなり禁煙キャンペーン映画を上映することになったのでこの日のこの時間の授業は取りやめて映画の上映会に振り替えると言い出した。所定の日には、一時間生徒の列の後ろでこの映画をお相伴することになってしまった。この映画はなかなか気合の入った良い映画で真っ黒になった肺の写真なんかを写してあるから(わたしは相変わらず肺の写真とかを見るのは嫌であった)震えあがって禁煙しようと決心した。それ以来一本の煙草も吸っていない。四万円もした高価なパイプも勿体ないと思ったが捨ててしまった。

 尤も生徒諸君には何らの効果もなかったようで、映画を見た帰り道で煙草を吸って捕まったのが居たくらいである。密かに観察するに黒田とその子分数名はたばこを根絶する気は一切ないようである。時々捕まえてたばこの害を説教することに自分の存在価値を見出している。これによって給料も出るししかも他の人より授業時間が大幅に少なくなるように優遇されている。うっかり根絶すると自分の仕事がなくなるのであるから根絶は考えない。うまい生き方である。

 一方の生徒は、停学を食らうと仲間内での箔がつくようで時々は捕まえてくださいと言わんばかりの挙に出るのが居る。どうも黒田とその子分は箔をつけてやると面倒だからと大物は見逃しているような節が見られる。捕まるのはいつも小物である。または生徒の中の大物と黒田の間にはなんらかの取引があったのかもしれない。

 万里の長城は、敵の侵入を防ぐためだけではあるまい。失業対策の公共事業に使われたに相違ない。もしわたしが防衛の最前線の将軍なら蒙古軍の親分に話を付けてちょっと攻めてきてくれこっちはこうするからとして、騒動を起こす。これを大げさに報告すればきっと予算が多くつくであろうからこの手を使う。それと同じような手を黒田は使っているように見受けられる。なかなか賢いヒトである。たばこの禁止は黒田の様な奴には公共事業みたいなもんである。それに対して我々は公共工事の現場作業員になっている。しかもタコ部屋になっているんじゃないか。出るにでられない。

 わたしは、収入というのは自分の知識や体力を切り売りして得るものと思っていた。決してそうでもない収入の得方がありそうである。利権を手に入れるのである。どうせわたしには関係のない世界のことだと思っていたが、それがこのくらい身近で観察されたのである。さらに黒田は確かに儲かっていた節がある。どこからどうやって儲けていたかは分からないが。黒田はたばこ利権または喫煙禁止利権というべきか、なかなか込み入った利権である。

 学校の先生になっていいことは三月にやきもきしないことと夏休みの他にはこの禁煙映画を見たことくらいである。ただしこの禁煙映画を見たことは生涯のトクになった。このように学校勤めは決して悪いことばかりではなかった。

 

わたしはその後退職してさらにそのあといろいろあったが、後々の話である。ある日家への帰り道を歩いていると車が後ろに止まって「先生乗ってください、家まで送りましょう。」という。その男はもと暴走族でわたしの授業を受けたことがあると言っていた。家までと言ってもあと二百メートルであるが折角だから載せてもらった。ナントかという外車でえらく走りが静かである。今は飲食店チェーンを経営しているという。

 わたしは、親の言いつけを良く守り勉強はまあまあできたと思っている。Z会の通信添削には数学以外でも名前を何度も載せた。しかし、今は自転車の新車を買う金もなく油切れでギイギイ鳴る中古の自転車を買うのに清水の舞台から飛び降りる覚悟がいる身になってしまった。あの勉強は一体何であったのか。何も役立っていないではないか。

 この何とかという外車に載せてもらってこのように自分の人生を反省することができたことも、学校の先生をやっていいことであったかもしれない。