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映画 君たちはどう生きるか の題名について

2024-04-10 18:28:03 | 日記

映画 君たちはどう生きるか の題名について

 一見この映画のストーリーにそぐわない題だと思える。一生懸命働いて功名を挙げるとか、のんびりやった方が得ですよとかの教訓を期待していたのにである。この件を長い間考えて多分こういうことではないかと思うところがある。

 この映画ではこの世とあの世は特別の場合行き来することが可能であるし、あの世からこの世を見ることが可能である、ということになっている。自分たちは、ご先祖さんに見守られているしその加護を受けている。この感覚を日本人は、外来宗教を受け入れた後もずーと今も持ち続けてきた。

現に私はお盆には、「地獄の釜の蓋が開いて我が家にご先祖さんが帰ってくる」からお供えをすると教えられてきた。(わたくしは我がご先祖は極楽ではなく地獄の方へお行きになったのか、それではその子孫たるわたくしも地獄行きの可能性が高いような気がしてがっかりした。同時にせっかく地獄からお帰りになるのだからもっと豪華なタイの尾頭付きとかをお供えすればいいのに、なぜわずかなご飯と野菜の炊いたものしかお供えしないのか不思議であった。)この地獄の釜が開いてご先祖がお帰りになるのは、おそらくもともとの仏教にはないのではないかと思う。仏教伝来した時、土俗のご先祖さんに見守られているという感覚との整合性を付けるために編み出されたものではないか、仏教側が妥協したと考えられる。

このご先祖さんが自分たちと共にあるとの感覚が、自分たちの共同体を守る意志の源になっている。生き方がこの感覚によって規定されている。感覚によるものだから、あの面倒くさい戒律のように明文化する必要がない。この「君たちはどう生きるか」は、(その良しあしは問わないで)「君たちはご先祖に見守られている感覚の中で生きる」と言いたいのであろう。これが、西洋でユニークとして(我々からすると全然ユニークでないのだが)絶賛を浴びた理由と考えてみた。

 

南米では、家の中にご先祖のミイラを置く風習があると仄聞する。その南米の民族と我が日本の家に仏壇を置くは、同じ風習ではないか。ご先祖に見守られているのである。ただ湿っぽい日本ではミイラが難しいので仏壇になった。

 犯罪の発生が、仏壇の存在と関係があるのかどうかの統計がどこかでなされていないか。もしなされていれば相関があると思うのだがどうか。