小説 新坊ちゃん㉒ それから
その後意外な才が私にはあったようで占い屋は大繁盛で、御殿とまではいかぬまでも大きな家に住んでいる。伝え聞くに、今学校の先生は忙しくて大変らしい。昔は忙しくなかった。その代わり権力闘争があってそのはざまにはまると大変である、命にかかわる人までいた。
学校は平和なところではない。わたしは学校は平和なところである分給料が安いのに相違ないと自分で勝手に解釈して、終身雇用の身にならねばいかんと言われたときに学校の先生になった。これが大きな間違いであることは半年を俟たずに気づいた。給料が安い上に職場が戦場であれば行く値打ちはない。(給料が安いなら平和、高いなら戦場どうかこの鉄則を守っていただきたい)わたしと同じ間違いを犯す人がいてはいけないから拙文をもって警鐘を鳴らすものである。もし今忙しい上に権力闘争まであるならそれは単なる修羅場である、そこへは近づいてはならない。快川和尚でもないのだからわざわざ火の中に入りに行くことはないのである。
思うに権力闘争する教員を一掃するために学校の先生の仕事を膨大なものにしているように見える。仕事が忙しくなると悪事も働けまい、権力闘争どころではなくなるだろう。宴会をして猥談をする時間もなくなるだろう。文科省のお役人もなかなか高等戦略をする。しかしいつまでもこれでは立ちいかぬだろうと他人事ながら心配してやっていたところ、意外なニュースを目にした。
私立も公立も授業料をタダにするというのである。一見慈悲深いアリガタイ政策に見えるがそうではない。中学の卒業生は、今まで高い授業料であった私立へ行ったほうが得であると錯覚するのである。一万円のラーメンと五千円のラーメン今日だけ両方ともタダにしますと言えば、だれでも一万円の方を頼みたくなる。公立は、定員割れすると廃校になる。こうやって公立を廃校にしておいてあるとき、授業料元通りにすると私立は経営が成り立たなくなって倒産または募集停止する。行き場を失った中学卒業生は、通信制に行かざるを得ない。それからは、通信制でAIが教育するのである。地方政府は、教育費の支払いが減って大喜びである。
もし、通信制に行った者すべてが二宮尊徳みたいな立派な人ばかりなら、何ら問題がない。しかしそうでもないだろう。日本は、受けた教育によって人々が分断される国になるだろう。教育費を倹約すると、難しい問題が多分起こるはずである。
尤も、教育費を潤沢にするとオレが若いころさんざん阿保らしい思いをさせられたようなことが起こる。このような組織は余程しっかり管理する能力のあるヒトでないと管理できないものである。そこを、田沼意次のようなカネを積んだものを出世させるということをするもんだから、様々な悲喜劇があった。悲劇の方では、命にかかわるものまであった。
世の中を設計する立場にあるものは、世の中で人々の舐めている苦労を認識しているんだろうか?