読書反省文② 読書の家は富貴の家 内藤湖南
むかし、陳舜臣の「中国の歴史」を読破しようと試みてほぼできたんですけど、電車の中とかで読むもんだから全く頭に残らなかった。それより小説家の本だから誰それがどうしたということを詳しく書いてあるのでそれに囚われて背景が分からない。それに王朝が変わるごとに同じような事件が繰り返されるので、今読んでいるところが宋王朝なのか明王朝なのかついにはわからなくなってしまうということまで起こってしまった。
その後宮﨑市定の「中国史 上下」(岩波全書)を読んで、やっと蒙を啓くことができた。同じことを繰り返していない。各王朝は違う背景をもち違うことをやっている。市定さんの本は面白かったし論理的に書かれているので分かりやすいのでずいぶん読んだ。この人の先生である内藤湖南はもっと面白いかもしれないと思って岩波から「中国近世史」を買ってきて読んだ。
私は他のことはさっぱり呑み込みが良くないが、本はかなりの速さで読む自信がある。それがさっぱり読めないので困った。しばらく置いておいてまた再開することを何度も繰り返してとうとう読みきることができなかった。かなり長い時間反省をしてやっと理由がわかった。
この本は口述筆記なので文章のリズムが普通の文とは全く異なる。頭にスーと入らない。ちょうど古い神社の階段を上るようなもので、現在の建築基準法に基づいていないからやたら高い段があるかと思うと次のは低くなっていて歩きづらいのである。現代の散文でさえもリズムがないととても読みにくい。落語を口述筆記した本はまだ読めるが、学者先生の口述を読むのはよほどの努力がいる。
さらにいろいろ考えた。この講義がなされたのは大正末年であるが、その数年後には満州事変が起きている。当時の時代の空気は、その是非はともかくとして日本は植民地拡大しないとやっていけない一辺倒だったろうと想像される。そこでこの講義がなされたのなら、ここへ赴任する軍人さんだけでなくここで一旗揚げようとする実業家までもがこぞって興味を持つはずである。そういう講義だったのではないか。相手側をここまで調べるのは勉強熱心であった。そのくらいでないと一旗は絶対上がらない。よく言われている日本の行き当たりばったりの拡大ではなかったのではないかと推察される。
この時代背景での講義だから、今の私が読んで読みにくいのである。そういう興味が無いのであるから。文のリズムだけの問題ではなさそうだ。本は今の自分が興味のあるものを読まねばいけない。
ところで、その後日本は対米戦争するけど戦争の前に、米国近世史の講義をしたのかな。多分してないと思う。当時の日本は、何も孫子さんにお出ましいただき喝破していただかなくとも当然やるべき勉強をしていなかったような気がする。
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