「新○県知事、逮捕」 現職官僚・告発小説のリアル
http://tanakaryusaku.jp/2013/09/0007960
今日の大竹ラジオ。
</object>
10/15 加筆。
FB A・O様より
ー「原発ホワイトアウト」より引用ー
この本は中央省庁の現官僚がペンネームで書いたフィクションというよりは
内部告発暴露本に近いです。
この初版は先月9月11日、たぶん出筆中と今とは話は違います。今は汚染水問題が.かなり大きく報道されてますから
失速ということはないでしょう。
先日の静岡の反原発デモには前回の倍の人が集まりました。
が、私にはこの視点が戒めになりました。更に広い位置が自分を見つめ
自分の立ち位置を確かめながら前に進んでいきたい。
ー「原発ホワイトアウト」より引用ー
デモの最盛期は大井原発の再稼働前後だった。
数万人はいたはずだ。
衆院選で保守党が勝利したあとから徐々に参加者は減り始め
今は千人程度まで減ってしまっている。
雨の日には数百人ということもあった。
代表のように長年、反原発で戦ってきた人間からすれば
反原発活動は常にゴールなき長期戦であり、現時点もその過程のかなの一過通過点に過ぎないだろう。
しかし、代表のような存在は例外的だ。
デモに参加している多くの若い人々は「官邸前デモが政治を変える、社会を変える」と能天気に信じているようだ。
SNSの申し子ともいえる彼ら彼女らは、ネットでつながる仲間から「いいね!」という即効的な反応を求める。
じっくりと物事を考えて論壇に見解を表明し、
じわじわと社会の価値観が変わっていくことを待つという
旧世代の忍耐力はない。
突き動かしているのは、自分の生き様をネット上に残したい、
というモチベーションだ。ネット上に記録されないことは
事実ではない、歴史にならない、とさえ信じているように
思われる。
世間の動きを表層的かつ感覚的に反応する評論家は
「官邸前のデモは新しい時代の到来を予見させる。
インターネット時代の直接民主主義的ムーブメントの
発露であり、今後の民主政治の可能性を示すものである」
などと称揚していたが、実態は定職のない若者や定年後の
高齢者がやり場のない怒りをぶつけるステージにちかった。
大衆は熱し易く冷め易いー。
とはいっても、この反原発デモの運動はこれはこれで続けさせなければならない、と玉川は思う。
失速しているかもしれないが、続いていること自体に
意味があるのだ。
マスメディアは金曜の夜の官邸前デモいついて一過性の報道をした後は、所与のものとして無視している。
しかし、むしろ官邸前デモに人が集まらない事態となれば、
それこそがニュースのなり、原発推進派を勢いづかせることに
なってしまう。
玉川からすれば、スキーのジャンプ競技のように失速しようが何をしようが、とにかく前傾姿勢を保って、
できるだけ長い時間空中を飛行させ続けていることに意味があるのだ。
http://tanakaryusaku.jp/2013/09/0007960
今日の大竹ラジオ。
</object>
10/15 加筆。
FB A・O様より
ー「原発ホワイトアウト」より引用ー
この本は中央省庁の現官僚がペンネームで書いたフィクションというよりは
内部告発暴露本に近いです。
この初版は先月9月11日、たぶん出筆中と今とは話は違います。今は汚染水問題が.かなり大きく報道されてますから
失速ということはないでしょう。
先日の静岡の反原発デモには前回の倍の人が集まりました。
が、私にはこの視点が戒めになりました。更に広い位置が自分を見つめ
自分の立ち位置を確かめながら前に進んでいきたい。
ー「原発ホワイトアウト」より引用ー
デモの最盛期は大井原発の再稼働前後だった。
数万人はいたはずだ。
衆院選で保守党が勝利したあとから徐々に参加者は減り始め
今は千人程度まで減ってしまっている。
雨の日には数百人ということもあった。
代表のように長年、反原発で戦ってきた人間からすれば
反原発活動は常にゴールなき長期戦であり、現時点もその過程のかなの一過通過点に過ぎないだろう。
しかし、代表のような存在は例外的だ。
デモに参加している多くの若い人々は「官邸前デモが政治を変える、社会を変える」と能天気に信じているようだ。
SNSの申し子ともいえる彼ら彼女らは、ネットでつながる仲間から「いいね!」という即効的な反応を求める。
じっくりと物事を考えて論壇に見解を表明し、
じわじわと社会の価値観が変わっていくことを待つという
旧世代の忍耐力はない。
突き動かしているのは、自分の生き様をネット上に残したい、
というモチベーションだ。ネット上に記録されないことは
事実ではない、歴史にならない、とさえ信じているように
思われる。
世間の動きを表層的かつ感覚的に反応する評論家は
「官邸前のデモは新しい時代の到来を予見させる。
インターネット時代の直接民主主義的ムーブメントの
発露であり、今後の民主政治の可能性を示すものである」
などと称揚していたが、実態は定職のない若者や定年後の
高齢者がやり場のない怒りをぶつけるステージにちかった。
大衆は熱し易く冷め易いー。
とはいっても、この反原発デモの運動はこれはこれで続けさせなければならない、と玉川は思う。
失速しているかもしれないが、続いていること自体に
意味があるのだ。
マスメディアは金曜の夜の官邸前デモいついて一過性の報道をした後は、所与のものとして無視している。
しかし、むしろ官邸前デモに人が集まらない事態となれば、
それこそがニュースのなり、原発推進派を勢いづかせることに
なってしまう。
玉川からすれば、スキーのジャンプ競技のように失速しようが何をしようが、とにかく前傾姿勢を保って、
できるだけ長い時間空中を飛行させ続けていることに意味があるのだ。