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『中庸』第二十七節~第二十九節

2015-05-12 10:06:58 | 漢文解読
             『中庸』第二十七節 ~ 第二十九節
                  第二十七節
偉大なものだなあ、聖人の道と謂うものは。広大なこの世界に充満して、万物を生みだし育てていく。その偉大さは天の高さを極めるほどに高大であり、又それは何と心豊かでのびやかなものだろうか。この偉大さを実際の政治に形として顕したものが、礼制であり、その基本的なものが三百、詳細が三千有る。しかしながらこの聖人の道も、其れを実践できる有徳の人がいて、初めて行われるのである。それだから、至誠により徳を身に備えた人でなければ、聖人の道を極めることは出来ない、と世に言われる通りである。

大哉聖人之道。洋洋乎發育萬物、峻極于天。優優大哉、禮儀三百、威儀三千、待其人然後行。故曰、苟不至、至道不凝焉。

大なるかな、聖人の道。洋洋として萬物を發育し、峻(たかい)きこと天を極む。優優として大なるかな、禮儀三百、威儀三千、其の人を待ちて然る後に行わる。故に曰く、「苟も至ならざれば、至道凝(なる)らず。」

<語釈>
○「洋洋」、正義:「洋洋」は道徳充満の貌を謂う。○「育」、鄭注:「育」は「生」なり。○「峻」、鄭注:「峻」は高大なり。○「優優」、正義:「優優」は寛裕の貌。○「禮儀」・「威儀」、正義:禮儀は經禮なり、威儀は曲禮なり。「禮義」は禮の基本的な大綱、「威儀」は禮の大綱を更に詳細にしたもの。

                第二十八節
前節で述べたように、聖人の道は、徳を身に備えた人のみが極めることが出来るのである。それだから、聖人を規範として学ぶ君子は、天性として与えられている誠を尊んで、それを学ぶことに由り、幅広く厚みのある知識を身につけて、細かいところまで熟知し、その高明を極めると共に、過不及なき中庸を踏み外さないように務め、一度学んだ学問は繰り返し学んで、忘れないようにして、更に新しい知識を身につけることに務め、敦厚な態度でもって禮を尊重し、誠の心を本にして、自分の徳を高めるのである。

故君子尊性而道問學、致廣大而盡精微、極高明而道中庸。溫故而知新、敦厚以崇禮。

故に君子は性を尊びて問學に道り、廣大を致して精微を盡くし、高明を極めて中庸に道る。故(ふるい)きを溫めて新きを知り、敦厚にして以て禮を崇ぶ。

<語釈>
○「問學」、学問。○「溫故而知新」、一般的には「故」は「古」に解し、古の聖人の道と解釈するが、ここではその意味に取らず、自分が学んだ知識の意に解釈し、「温」は復習の意に解す。

                 第二十九節
前節で述べたように君子は常に徳を高めることに務めているので、高い位にあっても下位の人々に驕らず、低い位にあっても上位の人々に背かない。又その國に道が行われているときは、進んで有用な言論を述べて重用せられ、不幸にも無道な國であっても、黙して道を守りながら、その身を保全ずることが出来る。『詩経』大雅烝民篇にも、道に明らかで、思慮深いので、いかなる時も誤り無く、吾が身を保つことが出来る、と述べられているのは、聖人を模範として常に徳を高めることに務めている君子についてうたっているのであろう。

是故居上不驕、為下不倍。國有道、其言足以興、國無道、其默足以容。詩曰、既明且哲、以保其身。其此之謂與。

是の故に上に居て驕らず、下と為りて倍かず。國に道有れば、其の言以て興るに足り、國に道無ければ、其の默以て容れらるるに足る。詩に曰く、「既に明且つ哲、以て其の身を保つ。」其れ此れの謂か。

<語釈>
○「興」、鄭注:「興」は、起って位に在るを謂うなり。

<解説>
第二十七節では、聖人の道の偉大さを称え、その偉大な道を具現化したものが禮制であると説いてる。それ故に禮制を繰り返し学び、実践することが聖人の偉大な道に近づく方法であるが、それは単に学べばよいというもので無く、天性としての誠に基づき、徳を身に備えたうえでの学習である。それ故に君子は常に吾が身の徳を高めることに務め、日々の学習を怠らず、禮を尊ぶのである。そうして常に吾が身を謙虚にして、常に変わりない態度を保っているので、身分や貧富などに関係なく、道を守り、吾が身を保全することが出来るのである。我々もいかなる状況に置かれても、自分が自分であり続けたいものである。