二十六節
孟子は言う、
「実際は力で支配しておきながら、あたかも仁道に因っているように見せかける者は覇者である。だから覇者は必ず大國を持たねばならない。自らの徳に因り仁政を行う者は王者である。それ故に王者は大國を必要としない。かの殷の湯王は七十里四方の領土で、周の文王は百里四方の領土で天下の王者となった。力で服従させている者は、心から服従しているのではない。ただ己が手向かうだけの力がないから従っているだけである。ところが徳により、服従させている者は、心の底から喜んで服従している者である。たとえば七十人の弟子が孔子に心服したのがそれである。『詩経』の大雅、文王有聲篇に、『西からも東からも、南から北からも、人民が集まり、文王の徳を思慕して服さない者はいない。』とあるのは、その事を言ったものである。
孟子曰、以力假仁者霸。霸必有大國。以德行仁者王。王不待大。湯以七十里、文王以百里。以力服人者、非心服也。力不贍也。以德服人者,中心悅而誠服也。如七十子之服孔子也。詩云、自西自東、自南自北、無思不服。此之謂也。
孟子曰く、「力を以て仁を假る者は霸たり。霸は必ず大國を有つ。德を以て仁を行う者は王たり。王は大を待たず。湯は七十里を以てし、文王は百里を以てす。力を以て人を服する者は、心服に非ざるなり。力贍らざればなり。德を以て人を服する者は、中心悅んで誠に服するなり。七十子の孔子に服するが如きなり。詩に云う、『西自り東自り、南自り北自り、思いて服せざる無し。』此を之れ謂うなり。」
<語釈>
○「贍」、趙注:「贍」は「足」なり。○「七十子」、『史記』の孔子世家に、弟子は蓋し三千、身、六芸に通ずる者七十有二人あり、と述べられている。又仲尼弟子列伝では、孔子曰く、「業を受け身に通ずる者七十有七人。」とある。どちらでもよい。ここではほぼ七十人の弟子がという意味に解釈しておけばよい。
<解説>
孟子は王者、覇者について、屡々述べているが、この節もそれを端的に述べており、孟子の考え方がよくわかる一節である。
二十七節
孟子は言う、「仁政を行えば國は栄え、民は安心して暮らせるが、不仁ならば國は破れ民は害われ恥辱を受ける。ところが恥辱を嫌いながら、不仁の行いの中にいるのは、たとえば湿気を嫌いながら、低地に暮らしているようなものだ。本当に恥辱を嫌うのであれば、有徳の人を貴び、有能の人を大切にするにこしたことはない。賢者がその徳に見合った位に即き、有能な官吏がその職務を果たし、国家が平穏無事であるとしたら、その機を失わずに政治と刑罰を公明に行えば、大国ですら恐れ憚って手を出さぬようになるだろう。『詩経』豳風の鴟鴞篇に、雨が降る前に巣の出入り口を補修しておけば、下に住んでいる者も私を侮らないであろう、とあるが、孔子はこれを評して、この詩を作った者は、物事の道理がよく分かっている人である、と述べている。この詩のように平素から用意周到に國を治めていれば、その国を侮る者は誰もいないだろう。ところが今国家が平穏無事で治まっているとして、それをよいことに政治を怠けて遊びにふけていると、自ら禍を招きよせることになる。禍福は全て自らが招き寄せるものだ。『詩経』大雅の文王篇に、私は長く天命に従って行動し、自ら多くの福を求めてきた、とあり、『書経』の大甲篇にも、天が与えた禍は避けることが出来るが、自ら招いた禍は逃れることが出来ない、とあるのは、此の事を言っているのである。」
孟子曰、仁則榮、不仁則辱。今惡辱而居不仁、是猶惡濕而居下也。如惡之、莫如貴德而尊士。賢者在位、能者在職、國家閒暇。及是時明其政刑、雖大國、必畏之矣。詩云、迨天之未陰雨、徹彼桑土、綢繆牖戶。今此下民、或敢侮予。孔子曰、為此詩者、其知道乎。能治其國家、誰敢侮之。今國家閒暇。及是時般樂怠敖、是自求禍也。禍褔無不自己求之者。詩云、永言配命、自求多褔。太甲曰、天作孼猶可違。自作孼不可活。此之謂也。
孟子曰く、「仁なれば則ち榮え、不仁なれば則ち辱めらる。今辱めらるるを惡んで不仁に居るは、是れ猶ほ濕を惡んで下きに居るがごときなり。如し之を惡まば、徳を貴びて士を尊ぶに如くは莫し。賢者位に在り、能者職に在り、國家閒暇なりとせん。是の時に及びて其の政刑を明らかにせば、大國と雖も、必ず之を畏れん。詩に云う、『天の未だ陰雨せざるに迨(およぶ)んで、彼の桑土を徹(とる)り、牖(ユウ)戶を綢繆す。今此の下民、敢て予を侮どること或らんや。』孔子曰く、『此の詩を為りし者は、其れ道を知れるか。』能く其の國家を治めば、誰か敢て之を侮らん。今國家閒暇なりとせん。是の時に及んで般樂怠敖せば、是れ自ら禍を求むるなり。禍褔は己自り之を求めざる者無し。詩に云う『永く言、命を配し、自ら多褔を求む。』太甲に曰く、『天の作せる孼は猶ほ違く可し。自ら作せる孼は活く可からず。』此を之れ謂うなり。」
<語釈>
○「貴德而尊士」、徳は、有徳の人、士は、有能の人を意味する。○「閒暇」、平穏無事の意。○「詩云」、趙注:詩は、『詩経』豳風の鴟鴞篇、「迨」は「及」、「徹」は「取」、「桑土」は桑の根の皮。「陰雨」は雨降り、「牖」(ユウ)は窓、「牖戸」は窓の出入り口で、ここでは鳥の巣の出入り口を指す、「綢繆」(チュウ・ビュウ)は補修の意、詩の意は、天が未だ雨を降らさないうちに、桑の根の皮を取ってきて、巣の出入り口を補修しておく。このように用意周到であれば、下に住んでいる者も、私を侮ることはないであろう。○「般樂怠敖」、趙注:「般」は大なり。大いに遊び怠けること。○「詩云」、『詩経』大雅の文王篇。趙注:「永」は「長」、「言」は「我」なり。○「太甲曰」、『書経』の大甲篇、「孼」は「禍」、「違」は「避」。
<解説>
仁政についての孟子の主張である。不仁の行いをすれば、「是れ自ら禍を求むるなり。」と述べ、更に「禍褔は己自り之を求めざる者無し。」として、禍福は自己責任に因りもたらされると述べている。これはこの時代の天命思想の中にあって、それと矛盾する自力主義の主張であり、注目すべき点である・