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『孟子』巻第六藤文公章句下 五十六節

2017-06-25 10:32:42 | 四書解読
五十六節

弟子の萬章が孟子に尋ねた。
「宋は小国ですが、君主は王者の政治を行おうとしています。ところが大国の齊や楚たそれを憎んで攻めてきたとしたら、どうすればよいのでしょうか。」
孟子は答えた。
「殷の湯王がまだ一諸侯として亳にいたとき、隣に葛という国があった。葛の君はわがまま勝手で、祖先の祭をしなかった。そこで湯王は人を使わして、『どうして祖先を祭らないのか』と尋ねさせたら、『供える犠牲がないからだ』と答えた。そこで湯王は祭祀用の牛と羊を送らせると、葛の君はそれを食べてしまい、祭をしなかった。湯王は又使いを遣わして、『どうして祭らないのか』と尋ねさせたら、『供える穀物がない』と答えたので、湯王は自国の民を葛国に使わして祭田を耕させ、老人子供に耕す者の食を運ばせたが、葛の君は自国の民を引き連れて待ち伏せし、酒や肉や食を強奪し、それを拒んだものは殺してしまった。子供が肉と飯とを以て通りかかると、その子供たちまで殺して奪った。『書経』(商書の仲虺之誥篇)に、『葛伯、餉に仇す』と有るのは、この事を言っているのだ。子供まで殺す無道な行いの為に、湯王は葛国を征伐した。天下の人民は皆、『天下の富を手に入れようとしたのではない。罪無くして殺された庶民の仇を討ったのだ。』と言った。湯王が天下の暴虐な君主を征伐したのは葛が最初で、その後十一の暴虐な君主を征伐し、遂に湯王に敵対する国は無くなった。その間、東の敵を征伐すれば、西の異民族が怨み、南の敵を征伐すれば、北の民が怨み、それぞれが、『どうして私たちを後にするのか。』と言ったそうだ。民が湯王待ち望むこと、干ばつの時に雨を待ち望んでいるようであった。だから、湯王の軍が城内に入ってきても、市場に行く者は普段と変わらず市場に行き、農民は普段と変わらず田畑で除草をしていた。湯王はその君主を誅伐して、民を労わったので、恵みの雨が降って来た時のように、湯王がやって来たことを喜んだ。だから『書経』(商書の太甲上篇)にも、『我らが君を待つ、君が来られたら、無法な罰は無くなるだろう。』と記されている。周の始めも亦た同様であった。それについても『書経』(この句は今の書には無い)は、『周の臣になることを快しとしない国があり、東に兵を進めて征伐し、その国の男女の民を安んじた。すると諸侯は黒と黄色の絹布を箱に入れて幤物として、我が周王につてに因り謁見して、その美徳を見て、大周国に臣として帰服した。』と述べている。殷の役人たちが、黒と黄色の絹布を箱に満たして、周の役人を迎え、殷の人民が、竹かごに飯を入れ壺に飲み物を入れて、周の兵士たちを迎えたのは何故か。それは殷の民たちを水火の苦しみから救い出し、残虐な君主を取り除いたからである。『書経』の太誓篇にも、『我が武威は高揚し、殷の国境を侵し、その残虐な君主を取り除き、その功は大いに拡大して、あの殷の湯王よりも栄光に満ちている。』とある。今宋は王政を行いもしていないのに、先の事を心配している。もし宋公が誠に王政を行えば、天下の民は皆首を伸ばして宋公を仰ぎ見て、我が君としてお仕えしたいと願うだろう。そうなれば齊や楚が大国だとしても、何の恐れることがあろうか。」

萬章問曰、宋小國也。今將行王政。齊楚惡而伐之、則如之何。孟子曰、湯居亳、與葛為鄰。葛伯放而不祀。湯使人問之曰、何為不祀。曰、無以供犧牲也。湯使遺之牛羊。葛伯食之、又不以祀。湯又使人問之曰、何為不祀。曰、無以供粢盛也。湯使亳衆往為之耕、老弱饋食。葛伯率其民、要其有酒食黍稻者奪之、不授者殺之。有童子以黍肉餉。殺而奪之。書曰、葛伯仇餉。此之謂也。為其殺是童子而征之。四海之內皆曰、非富天下也。為匹夫匹婦復讎也。湯始征、自葛載。十一征而無敵於天下。東面而征、西夷怨、南面而征、北狄怨。曰、奚為後我。民之望之、若大旱之望雨也。歸市者弗止、芸者不變。誅其君、弔其民。如時雨降、民大悅。書曰、徯我后、后來其無罰。有攸不惟臣、東征、綏厥士女。匪厥玄黃、紹我周王見休、惟臣附于大邑周。其君子實玄黃于匪以迎其君子、其小人簞食壺漿以迎其小人。救民於水火之中、取其殘而已矣。太誓曰、我武惟揚、侵于之疆。則取于殘、殺伐用張。于湯有光。不行王政云爾。苟行王政、四海之內皆舉首而望之、欲以為君。齊楚雖大、何畏焉。」

萬章問いて曰く、「宋は小國なり。今將に王の政を行わんとす。齊楚惡みて之を伐たば、則ち之を如何せん。」孟子曰く、「湯、亳に居り,葛と鄰を為す。葛伯放にして祀らず。湯、人をして之を問わしめて曰く、『何為れぞ祀らざる。』曰く、『以て犧牲に供する無きなり。』湯、之に牛羊を遺らしむ。葛伯之を食い、又以て祀らず。湯又人をして之を問わしめて曰く、『何為れぞ祀らざる。』曰く、『以て粢盛に供する無きなり。』湯、亳の衆をして往きて之が為に耕やさしめ、老弱、食を饋る。葛伯、其の民を率い、其の酒食黍稻有る者を要して之を奪い、授けざる者は之を殺す。童子有り、黍肉を以て餉る。殺して之を奪う。書に曰く、『葛伯餉に仇す。』此を之れ謂うなり。其の是の童子を殺すが為にして之を征す。四海の內皆曰く、『天下を富めりとするに非ざるなり。匹夫匹婦の為に讎を復するなり。』湯始めて征する、葛自り載(はじめる)む。十一たび征して天下に敵無し。東面して征すれば、西夷怨み、南面して征すれば、北狄怨む。曰く、『奚為れぞ我を後にする。』民の之を望むこと、大旱の雨を望むが若きなり。市に歸く者は止まらず、芸る者變ぜず。其の君を誅し、其の民を弔う。時雨の降るが如く、民大いに悅ぶ。書に曰く、『我が后を徯つ、后來らば其れ罰無からん。』『臣たるを惟わざる攸有り、東征して、厥の士女を綏んず。厥の玄黃を匪にし、我が周王を紹して休を見、惟れ大邑周に臣附す。』其の君子は玄黃を匪に實てて以て其の君子を迎え、其の小人は簞食壺漿して、以て其の小人を迎う。民を水火の中より救い、其の殘を取るのみ。太誓に曰く、『我が武惟れ揚り、之が疆を侵す。則ち殘を取り、殺伐用て張る。湯に于て光有り。』王政を行わずして爾云う。苟くも王政を行わば、四海の內皆首を舉げて之を望み、以て君と為さんことを欲せん。齊・楚大なりと雖も、何ぞ畏れん。」

<語釈>
○「粢盛」、神饌として供える穀物。○「老弱饋食」、服部宇之吉氏云う、老弱饋食は、耕者に食を饋るなり。○「要」、邀に通じ、むかえる、適を待ち伏せする意。○「餉」、前の「餉」は“おくる”と訓じ、後の「餉」は“かれいい”と訓じ、乾飯のこと、弁当を指す。○「載」、趙注:「載」は「始」なり。○「芸」、「芸」は“くさぎる”と訓じ、除草のこと、「芸」は「藝」と同字に扱っているが、本来別字であり。○「匪厥玄黃」、「匪」は箱、動詞に読んで箱に入れる意、「玄」は黒、黒と黃の絹布を幤物として箱に入れた。○「君子、小人」、趙注:其の君子小人は、各々執る所有り、以て其の類を迎う。朱注:君子は位在るの人を謂い、小人は細民()を謂うなり。君子は役人、小人は下級の兵士を指す。

<解説>
この節も孟子の王道論を説いたものになっている。その根幹は王政を行えと云う単純なものであり、さほど解説するほどの事はないが、今の『書経』には無い語句が引用されており、其の語句の範囲がはっきりしない個所もあり、又解読に苦労した箇所も何か所か有るが、本意は大意を理解することに在るので、その点を踏まえて通釈した。