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『孟子』巻第十三盡心章句上 二百十五節、二百十六節、二百十七節

2019-07-13 10:25:40 | 四書解読
二百十五節
齊の宣王は、三年の喪に服すのは長すぎるので、短くしようとした。そこで公孫丑を通じて孟子に尋ねさせた。公孫丑は孟子に言った。
「三年の喪を短くして一年にしても、喪に服さないよりはましでしょうか。」
孟子は言った。
「それは、兄の臂をねじ曲げている男がいて、その男に向かってもう少しゆっくりねじ上げる方がよい、と言うようなものだ。そのような事を言うのはもってのほかで、その男には孝悌の道を教えるべきなのだ。」
齊王の側室であった母に死なれた王子がいた。規則では喪に服すことはできないが、そのお守り役が王子の為に、正夫人との関係等の諸事情があって、三年の喪に服すことが出来ないので、せめて数か月でもよいので喪に服すことを願い出た。それを聞いた公孫丑は孟子に尋ねた。
「このような場合は、いかがでしょうか。」
「この場合は、三年の喪を全うしようとしても、たとえ一日でも服喪の期間が増えれば、やらないよしはましなのだ。先の宣王の場合は、何の差支えも無いのにそれをきちんとしない者の場合を言ったのだ。」

齊宣王欲短喪。公孫丑曰、為朞之喪、猶愈於已乎。孟子曰、是猶或紾其兄之臂、子謂之姑徐徐云爾。亦教之孝弟而已矣。王子有其母死者。其傅為之請數月之喪。公孫丑曰、若此者、何如也。曰、是欲終之而不可得也。雖加一日愈於已。謂夫莫之禁而弗為者也。

齊宣王、喪を短くせんと欲す。公孫丑曰く、「朞の喪を為すは、猶ほ已むに愈れるか。」孟子曰く、「是れ猶ほ其の兄の臂を紾(ねじる)るもの或らんに、子、之に謂いて、姑く徐徐にせよと爾云うがごとし。亦た之に孝弟を教えんのみ。」王子に其の母死する者有り。其の傅、之が為に數月の喪を請う。公孫丑曰く、「此の若き者は、何如ぞや。」曰く、「是れ之を終えんと欲するも、得可からざるなり。一日を加うと雖も、已むに愈れり。夫の之を禁ずる莫くして、為さざる者を謂うなり。」

<語釈>
○「公孫丑曰」、趙注:公孫丑に因りて自ら其の意を以てして孟子に問わしむ。公孫丑を通じて孟子に尋ねさせた。○「其傅為之請數月之喪」、趙注:王の庶夫人死す、適夫人に迫られ、其の親を喪するの數を行うを得ず。正夫人の圧迫があって、三年の喪が行えなかったので、数か月でも喪に服すことを願い出た。

<解説>
其の傅が數月の喪を請うた理由については、諸説があるが、語釈で述べた趙注の意により解釈した。

二百十六節

孟子は言った。
「君子が人に教える方法は五つある。時に適った雨が、草木や穀物を成長させるように、その人を自然と教化する方法、本人の長所を伸ばして、徳を完成させる方法と才能を十分に発揮させる方法、問いに対して答える方法、直接教えて悟らせるのではなく、間接的に自ら修養して悟らせるようにする方法である。この五つが、君子の教える方法である。」

孟子曰、君子之所以教者五。有如時雨化之者。有成德者。有達財者。有答問者。有私淑艾者。此五者、君子之所以教也。

孟子曰く、「君子の教うる所以の者は五あり。時雨の之を化するが如き者有り。德を成さしむる者有り。財を達せしむる者有り。問に答うる者有り。私に淑く艾せしむる者有り。此の五者は、君子の教うる所以なり。」

<語釈>
○「有如時雨化之者」、安井息軒氏云う、「時雨の物を化するは、大なる者は大成し、小なる者は小成す、其の力を用うる所を見わさず、而して物各々其の性を遂ぐ。」○「私淑艾」、趙注:「私」は、獨り、「淑」は善、「艾」は、治なり。

<解説>
特に述べることはない。

二百十七節

弟子の公孫丑が言った。
「道というものは、高尚で美しいものです。まさしく天に登るようなもので、我々にはとうてい達することが出来ないように思われます。道を願えば手が届くほどに近づけて、日々努力する気を引き起こさせるようにはできないのでしょうか。」
孟子は言った。
「すぐれた大工は、拙い職人の為だからといってに縄墨の方法を改廃するようなことはしないし、弓の名人である羿はへたくそな者の為に弓の絞り具合を変えるようなことはしない。それと同じで君子たる者は、名人が弓を引いてまだ発していないのに、その勢いが目の前に現れるかのように、中庸の道を以て、人々を導くのであって、出来る者だけがついていくのだ。」

公孫丑曰、道則高矣、美矣。宜若登天然。似不可及也。何不使彼為可幾及而日孳孳也。孟子曰、大匠不為拙工改廢繩墨、羿不為拙射變其彀率。君子引而不發、躍如也。中道而立。能者從之。

公孫丑曰く、「道は則ち高なり、美なり。宜しく天に登るが若く然るべし。及ぶ可からざるに似たり。何ぞ彼をして幾及す可くして、日に孳孳(シ・シ)為らしめざるや。」孟子曰く、「大匠は拙工の為に繩墨を改廢せず、羿は拙射の為に其の彀率を變ぜず。君子は引いて發せず、躍如たり。中道にして立つ。能者、之に從う。」

<語釈>
○「幾及」、「幾」は、こいねがう、及ぶことを冀うこと。○「孳孳」、シ・シ、つとめはげむ意。○「中道而立」、中道は中庸の道。

<解説>
孟子の教育論の一つである。教えられる者に自発的な意志と努力がなければ教えないことを根本にしている。同じような内容が『史記』孔子世家にもあるので、それを紹介しておく。子貢曰く、「夫子の道は至大なり、故に天下能く夫子を容るるもの莫し。夫子、蓋(なんぞ)ぞ少しく貶せざる。」孔子曰く、「賜や、良農は能く稼す(種を播きつける)、而れども穡(収穫)を為すこと能わず。良工は能く巧みなり、而れども順を為す(人の意に従う)こと能わず。君子は能く其の道を脩め、綱して(大綱をたてる)、之を紀とし、統べて之を理とす、而れども容れらるるを為すこと能わず。今、爾は爾の道を脩めずして、而も容れらるるを為すを求む。賜、而の志は遠からず(遠大ではない)。」