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『孟子』巻第十三盡心章句上 二百十八節、二百十九節、二百二十節

2019-07-23 10:08:15 | 四書解読
二百十八節
孟子は言った。
「天下に道が行われている時は、わが身に道を従えて、世に出て大いに活躍するが、天下に道が行われていない時は、道にわが身を従えて、道を守って世に隱れるのがよい。身と道とは常に即しているものであって、自分が守っている正しい道を屈して、俗人に從うなどとは聞いたことがない。」

孟子曰、天下有道、以道殉身、天下無道、以身殉道。未聞以道殉乎人者也。

孟子曰く、「天下、道有れば、道を以て身に殉え、天下、道無ければ、身を以て道に殉う。未だ道を以て人に殉う者を聞かざるなり。」

<語釈>
○「以道殉身~未聞以道殉乎人者也」、趙注:「殉」は從うなり。天下、道有れば、王政を行うを得、道、身に從いて功賞を施すなり、天下、道無ければ、道、行うを得ず、身を以て道に從い、道を守りて隱る。正道を以て俗人に從う者を聞かざるなり。

<解説>
君子たる者は、正道が行われている世の中ならば、世に現れて栄達するのもよいが、乱れた世ならば、己の道を守って隠れ住むのがよいとする。このことは各所で説かれている。人にとって大事なことは栄達で無く、如何に道を守るかと言うことである。

二百十九節
公都子が言った。
「滕君の弟である滕更が、先生の門下に学んでおられますが、この方は君主の弟君であり、それなりに礼遇されるべき立場だと思うのですが、まともにご返事なさらないのは、なぜですか。」
孟子は言った。
「身分を鼻にかけて問う、賢いことを鼻にかけて問う、年長を鼻にかけて問う、功勞があるのを鼻にかけて問う、縁故をかさに着て問う。このような問いに対して、私は全て答えない。滕更はこのうち二つもあるのだ。」

公都子曰、滕更之在門也、若在所禮。而不答、何也。孟子曰、挾貴而問、挾賢而問、挾長而問、挾有勳勞而問、挾故而問、皆所不答也。滕更有二焉。

公都子曰く、「滕更の門に在るや、禮する所に在るが若し。而も答えざるは、何ぞや。」孟子曰く、「貴を挟みて問い、賢を挟みて問い、長を挟みて問い、勳勞有るを挟みて問い、故を挟みて問うは、皆答えざる所なり。滕更二つ有り。」

<語釈>
○「滕更」、趙注:滕更は、滕君の弟、來たりて孟子に學ぶ者なり。

<解説>
趙岐の章指に云う、「學は、己を虚にすることを尚び、師は、誨うるに平を貴ぶ、是を以て滕更は二に恃む、孟子應えず。滕更の二について、趙岐は貴と賢だとしている。

二百二十節
孟子は言った。
「止めてはいけない時に止める者は、何事も最後までやり遂げることは出来ない。厚くすべきことを薄くする者は、何でも薄くする。進み方の鋭い者は、退き方も速いのである。」

孟子曰、於不可已而已者、無所不已。於所厚者薄、無所不薄也。其進銳者、其退速。

孟子曰く、「已む可からずに於いて已むる者は、已めざる所無し。厚くする所の者に於いて薄くするものは、薄くせざる所無し。其の進むこと銳き者は、其の退くこと速やかなり。」

<語釈>
○「已」、趙注は棄てるに解し、朱注は止むに解す。朱注を採用する。

<解説>
短文であるが故に、その内容はあいまいである。朱子によれば、不及の弊害と、過ぎたるの弊害を述べている。前の二句が不及の弊害であり、最後の句が過ぎたるの弊害である。安井息軒氏云う、「此の章、趙は人君の人を用うるを以て言う、朱は自ら脩むるを以て言う、義は皆通ず可し。」