田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長の論文で問題になった論点に関係していると思ったので、再度掲示してみる。
1945年から1949年にかけて連合国が行った日本のメディアや出版物に対する検閲について書かれている。連合国の日本とドイツに対する占領政策の違いが際立つ。
モニカ・ブラウ 「検閲1945~1949 禁じられた原爆報道」 時事通信社
立花誠逸訳 1988年2月発行
原書名: The atomic bomb suppressed : American censorship in Japan 1945-1949
検閲 1945‐1949―禁じられた原爆報道モニカ ブラウ時事通信社このアイテムの詳細を見る |
以下メモより。
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連合国のドイツに対する検閲はナチスの封じ込めを目的としていた。
連合国の日本に対する検閲は日本自身の封じ込める結果となった。
何故なら日本にはナチスがなかったから。
日本自身に対する検閲は過度な自主検閲に発展してしまう。
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■ドイツと日本
モニカ・ブラウは戦後生まれのスウェーデン人。全く白紙から日本とドイツの戦後の検閲を調べ上げた。
この本を読んでドイツがしらっと過去を語るわけが分かったような気がした。彼らは自分はナチスとは無関係として、戦争の責任なんか感じていないはずだ。ひざまずいて地面に頭を擦り付けたとしてもそれは別の話だ。
ドイツ憲法第139条では、ドイツ国民はナチズムから解放されたことになっている。ドイツ国民は被害者でもあるのだ。まったく恐れ入る。このおおもとはどこかといえば、戦後の連合国の占領政策「検閲」にあるのではないかと私は考えている。
ドイツは連合国により「ナチス」を封じ込められたのだが、それを逆手に取りドイツ人を戦争加害者から解放することに成功した。日本は連合国から「日本」を封じ込められ、ドイツのように逃げ場の無い日本は日本人が真っ向から批判を受ける形になっている。これは今のところドイツにとって思いもかけない幸福の元となり日本にとっては災いの元になっているように見える。
ドイツは東西分断からの再統一を待つという条件でどこの交戦国とも講和条約を結んでいないし賠償もしていない。自分たちは無関係なことになっているナチスの責任を代わりに果たすという名目でユダヤ人に対する戦争とは無関係な人道的犯罪の個別賠償を行った。(これは日本にはできないことだった。ナチスもユダヤ人もいないのだから。)
再統一が達成されるまでの間にドイツの周辺国家の経済産業は回復し時間の経過と共に薄れる記憶との相乗効果もあって、結果ドイツは個人補償をしたという大きな好評価だけが残ることになる。またドイツはその都度必要に応じて経済支援を周辺国に行うということで口を封じた。この口封じの最後は再統一後の頃に賠償を言い出しそうになったロシアに対する多額の経済援助だ。
律儀にサンフランシスコ講和条約を交戦国と結び賠償も行い、ついでに周辺国家に多大な経済援助を行っている日本と比べてドイツはなんとうまく立ち回っていることか、と呆れる。これは国力が均一だった近代ヨーロッパと日本だけが経済・産業・思想の西欧近代化という点で突出していたアジアとの差もある。
さて今現在でも日本人は「日本」の封じ込めから逃れれないでいる。自分自身で引きこもっているようにも見える。その状態から出るのが正解なのか今のまま現状維持をするのが正解なのか、正直私には分からない。今の現状しか知らないしそれ以外を想像もできないから。
ただ日本は遅まきながら目を覚まさなければいけないのでは思う。いつまでも引きこもっているわけにはいかない。そしてとりあえずキッチリ自分たちが戦後60年間、正義を行ってきたということを、声に出して言わなければならないのではと思う。そしてもう二度と何があっても安易に謝罪や賠償に応じないことだ。