投錨備忘録 - 暇つぶしに借りた本のメモを残すブログ

生一本 - 灘五郷 - 人と酒と

生一本―灘五郷-人と酒と
クリエーター情報なし
神戸新聞出版センター


昭和57年11月10日発行

この本は昭和56年1月から約10か月間、10数本ずつ6回に分けて神戸新聞に集中連載したものをまとめた本。

2013年の初夏から2013年の暮れまで借り続けた本。読み続けていたかというとそうではなく、読めてなくて返そうと何度も思ったのだが気になって借り続けたというところか。

灘五郷とは今津郷・西宮郷・魚崎郷・御影郷・西郷。兵庫県の西宮市から神戸市灘区にかけての大阪湾沿岸部。現在、阪神高速3号神戸線が通るところは昔の海岸線で、この道に沿って灘五郷があったと思えば良いと思う。この辺りで酒造りに使う湧水を宮水という呼ぶが、これは「西宮の水」の略だそうだ。天保5年(1834年)桜正宗の山邑太左衛門によって発見されたそうだから、そんなに遠い昔ではない。酵母の増殖を速めるカリウムが多く麹菌の動きを活発化させる。鉄やマンガンなどの金属類が少なく、臭いの発生の元、黄色変化の元が少ない。

下り酒というのがある。これは伊丹の鴻池村の山中新右衛門幸元が清酒を江戸へ運んだことからはじまる。山中新右衛門幸元は戦国時代の山中鹿之助を祖とする。財をなし後の鴻池の元を作った。灘五郷はこの下り酒とともに発展する。この江戸を消費地としての下り酒、船で一気に運ぶため生産地は海岸部に近いほうが良い。近隣の米と宮水、六甲山系の水力による精米。灘五郷の地を酒の生産地として選ぶのは企業家であれば必然だったのかもしれない。

明治になり日本が大陸へ進出。酒の需要は増え三増酒、アル添酒という酒もできる。これらは満州発祥の酒の作り方。合成酒というのもある。これは大正時代に理化学研究所の鈴木梅太郎(ビタミンBの発見者)が作り出した。

昭和20年6月5日、魚崎、御影、西(大石)が、8月5日には西宮南部一帯が空襲にあう。施設を失い廃業する酒蔵、別の地に移ったもの譲渡されたものもあるが、今でもその多くを当時の地で見ることができる。






今津郷は兵庫県西宮市今津あたり。
 大関(大関株式会社 西宮市今津出在家町4番9号)
 白雪(小西酒造株式会社 兵庫県伊丹市東有岡2-13)

西宮郷は兵庫県西宮市浜脇あたり。
 白鹿(辰馬本家酒造株式会社 兵庫県西宮市建石町2番10号)
 白鷹(白鷹株式会社 兵庫県西宮市浜町1番1号)
 日本盛(日本盛株式会社 西宮市用海町4番57号)

魚崎郷は兵庫県神戸市東灘区魚崎あたり。
 桜正宗(櫻正宗株式会社 神戸市東灘区魚崎南町5-10-1)
 松竹梅白壁蔵(宝酒造株式会社 京都市伏見区竹中町609番地)
 金正宗(松尾仁兵衛商店(廃業) 神戸市東灘区魚崎南町)

御影郷は兵庫県神戸市東灘区御影あたり。
 白鶴(白鶴酒造株式会社 兵庫県神戸市東灘区住吉南町4丁目5-5)
 菊正宗(菊正宗酒造株式会社 神戸市東灘区御影本町1-7-15)
 剣菱(剣菱酒造株式会社 神戸市東灘区御影本町3-12-5)
 福壽(株式会社神戸酒心館 神戸市東灘区御影塚町1-8-17)

西郷は兵庫県神戸市灘区西郷あたり。
 沢の鶴(沢の鶴株式会社 神戸市灘区新在家南町5丁目1番2号)
 富久娘(富久娘酒造株式会社 兵庫県神戸市灘区新在家南町3-2-28)
 金盃(金盃酒造株式会社 兵庫県神戸市灘区大石東町6丁目3-1)
 月桂冠(月桂冠株式会社 京都府京都市伏見区南浜町247)



(2013年夏から12月 西図書館)
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