カラヴァッジョ
《生誕》
1609年、268×197cm
パレルモ、サン・ロレンツォ礼拝堂旧蔵(1969年10月盗難)
パレルーモの聖ロレンツォ聖堂はスラム街にあった。
なすこともない若者たちが声をかけたり道をふさいだりする。
扉は閉っていて、続き棟のくぐり戸を開くと、肥った老婆がこちらをうかがっている。
「入ってもいいですか。」
「どうぞ、どうぞ。」と彼女は鍵束を持ち出して来た。
鍵をゆっくりとまわすと、彼女はいった。
「絵はないよ。」
「おととし、あの窓から泥棒が入ってね。切っていってしまった。今ごろはアメリカだよきっと!」
祭壇画のあとの汚れた灰色の壁はひどく広く見える。
これは、少くとも、今我々に解っている、カラヴァッジォの生涯の最後の絵だったのだ。
この痛ましい損失を誰に向かって怒ったらよいのか?
「シニョリーナ、もうお帰りかい。」と若者達がはやした。
「カラヴァッジォを見に来たんだから、もうここに用はない。」と私はそれがまるで彼らのせいででもあるかのように烈しくいった。
若者達は黙ってしまった。
若桑みどり「カラヴァッジォを追って」
芸術新潮 1973年11月号
イタリア美術、中でもカラヴァッジョが大好きです。
先月末、パレルモのサン・ロレンツォ祈祷所に行きました。相変わらず閑古鳥が鳴いていて、入館者は私一人(Museoの扱い)で、私の横に係員がぴったりと張り付いて写真を撮るどころではありませんでした。(中は写真不可)「ご誕生」の写真レプリカ(非常に良い出来で、近くで観ないと本物のように見えます)なので、撮っても問題ないと思うのですが、今回も絶対ダメと言われてしまいました。
前回と違っていたのは、本作がローマで制作されたことを係員が認めたことでした。従来は、カラヴァッジョがパレルモに逃げてきた時の1609年に制作されていたと言い張っていました。
若桑さんの「聖ロレンツォ聖堂はスラム街にあった」には違和感を感じます。
件の祈祷所がある場所がスラム街と言うならば、イタリアの大半がスラム街になってしまうでしょう。それにOratorioを聖堂と訳さないと思います。
コメントありがとうございます。
パレルモを旅されたのですか、凄いですね。
若桑氏の紀行エッセイ、魅力ある文章ですが、脚色を加えている感じもあります。
貴ブログの2017年3月掲載のパレルモ探訪記事を拝読しました。あわせてネットでいくつか画像を見ましたが、確かにスラム街という雰囲気はないですね。
シニョレッリ様の最新記事を楽しみにしています。
ご返事いただきありがとうございます。
色々とご教示頂ければ幸いです。今後とも宜しくお願いします。