東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

「スイス プチ・パレ美術館展」(SOMPO美術館)

2022年07月29日 | 展覧会(西洋美術)
スイス プチ・パレ美術館展
印象派からエコール・ド・パリへ
2022年7月13日〜10月10日
SOMPO美術館
 
 
 スイスのジュネーブにあるプチ・パレ美術館。
 
 実業家オスカー・ゲーズ氏(1905-88)が自身のコレクションを公開することを目的に、1968年に設立された。
 
 氏のコレクションは、1880〜1930年頃にパリで制作されたフランス近代絵画を中心とする。
 
 「有名な画家の高価な作品を集めるのではなく、過小評価されてきた画家たちを発見し、世に送り出すことに責任感を見出した」という。
 
 美術館は、氏が亡くなった1998年以降、現在に至るまで休館しているとのこと。全く知らなかった。
 ただ、国内外に積極的に作品貸出しを行っているようである。
 
 
【オスカー・ゲーズ氏について】
 1905年、チュニジアのスースに誕生。10歳で家族とともにマルセイユに移り、商業系グランゼコールを卒業する。第一次世界大戦を経てイタリアに転居し、兄のアンリとともにローマ郊外にゴム製品の会社を創設。第二次世界大戦中にはアメリカに亡命するが、戦火がやむとフランスのリヨンで事業を再開した。その後、相次ぐ家族との死別で悲嘆にくれるなか、絵画収集を本格化。エコール・ド・パリを代表する藤田、ヴァン・ドンゲン、キスリングらと知り合う。抽象画よりも個人の体験をもとにした具象画を好んだ。1960年代には事業を売却してコレクションを拡大。スイスのジュネーブに購入した新古典主義様式の邸宅を1968年に一般公開してプチ・パレ美術館と命名する。
 
 
 
 スイスのプチ・パレ美術館の名前を私が知ったのは、朝日新聞『世界名画の旅』による。
 
 キスリングの回で取り上げられた「モンパルナスのキキ」の肖像画2点、「着衣のキキ」と「裸のキキ」の所蔵者が、プチ・パレ美術館とあった。
 気になっていたところ、その後2点とも来日し、実見することができた。
 おそらくキスリング回顧展にて、裸のキキは1991年の三越美術館、着衣のキキは2007年の府中市美術館であったと思う。
 プチ・パレ美術館は、キスリング作品が非常に充実していて、キスリング回顧展はプチ・パレ美術館所蔵作品がないと成り立たないという印象がある。
 
 
 
 もう一つ、プチ・パレ美術館のコレクションで忘れてはならないのは、カイユボット。
 カイユボットの代表作の一つ《ヨーロッパ橋》を所蔵している。
 
 その《ヨーロッパ橋》は、2013年のブリヂストン美術館(現アーティゾン美術館)で開催された奇跡のカイユボット回顧展で来日してくれて、メインビジュアルを務めた。私はその素晴らしさに感嘆するばかり。
 
 
 
 さて、鹿児島、滋賀・守山、福島・郡山、静岡の4会場を巡回し、今般、東京にやってきた本展。
 
 日本では約30年ぶりのコレクション展となるとのこと。
 
 30年ぶり!とは意外。
 確認すると、1982-83年に1度あって、その後に、1991年の「スイス/プチ・パレ美術館名品展:タルコフとエコール・ド・パリの画家たち」と、1993年の「パリ-生きる歓び:ジュネーブ/プチ・パレ美術館名作展」と、約30年前に2つのコレクション展が開催されたようだ。
 
 私は1991年のコレクション展を、東京駅にある大丸の美術館にて見ている。
 副題に出てくる「タルコフ」、出品作に占めるタルコフの割合が高く、「タルコフ」って誰?  と戸惑ったこと(タルコフについては今も、誰?状態は変わらず)。
 名の知れた画家の作品は限定的で、名前を聞いた記憶がない、あるいは、聞いた記憶はあっても関心を持ったことのない画家たちの作品がずらっと並んでいたこと。
 そんな印象が残っているが、見た作品は一つも覚えていない。
 
 美術鑑賞に興味を持ち始めたばかりの頃に見た展覧会、あれから鑑賞経験も増えているし、好みも変わっているだろうから、これまでの変化を確認できるかも。
 と、いつもとは少々違った期待をもって、本展を訪問する。
 
 
 
 38画家65作品の出品。
 
【本展の構成】
1章 印象派
2章 新印象派
3章 ナビ派とポン=タヴァン派
4章 新印象派からフォーヴィスムまで
5章 フォーヴィスムからキュビスムまで
6章 ポスト印象派とエコール・ド・パリ
 
 以下、章ごとに記載。
 
 
 
 第1章「印象派」は、ルノワール、ファンタン=ラトゥール、ギョーマン、カイユボットの4画家4作品の出品。
 
カイユボット
《子どものモーリス・ユゴーの肖像》
1885年
 そのなかでは、カイユボットの5歳の男の子の肖像。白いワンピースを着てソファーに座ってこちらを見ている。
 さすがに代表作の一つ《ヨーロッパ橋》は出ない。
 2013年のブリヂストン美術館「カイユボット展」図録を確認すると、プチ・パレ美術館から《ヨーロッパ橋》ほか計4点が出品されていて、この男の子の肖像も出品されていた。
 
 しかし、「印象派」と題した章で、この4人とは、かなり渋い。
 プチ・パレ美術館は、マネ、モネ、バジール、セザンヌ、ロートレックあたりは所蔵しているようで、私的にはバジールは是非見たいもの。
 
〈参考:プチ・パレ美術館所蔵のバジール作品〉
 
 
 
 第2章「新印象派」は、8作家14作品の出品。
 
 ニコラス・タルコフは、この章に2点。
 1871年ロシア・モスクワに生まれ、ロシア印象派の画家ゴロヴィンに師事し、フランスに移ってパリで活動、力強い色彩を特徴とする作品を制作していた(フォーヴィスムの先駆ともされている模様)が、パリ郊外のオルセーに移り住んで以降の後半生は、次第に美術界の主流から遠のいていったという。
 
 
 
 第3章「ナビ派とポン=タヴァン派」は、3画家5点。
 
モーリス・ドニ(1870〜1943)    
《休暇中の宿題》
1906年
 ドニ3点のうち2点が、妻と子どもを描いた作品。
 ドニは1893年に結婚し、7人の子どもに恵まれる。1919年に妻に先立たれるが、1921年に再婚し、さらに2人の子どもを持つ。2度の結婚で9人の子ども。
 本作は、最初の妻マルタと、10歳の長女ノエル、7歳の次女ベルナデット、5歳の三女アンヌ=マリーのお揃いの服を着た3姉妹が描かれる。
 その満ち足りた世界に、理屈抜きで見惚れるしかない。
 
 
 
 第4章「新印象派からフォーヴィスムまで」は、7画家12作品。
 
 
 
 第5章「フォーヴィスムからキュビスムまで」は、8画家14作品。
 ジャンヌ・リジ=ルソー、マリア・ブランシャール、マレヴナなど、女性画家の作品を注目して見る。
 
 
 
 第6章「ポスト印象派とエコール・ド・パリ」は、8画家16作品。
 
フェリックス・ヴァロットン
《見繕い》
1911年
 私的な生活空間を覗いてしまった感が強烈。
 写実絵画のように描かれているが、この強烈さは画家独自の視線から来るものだろうか。
 
 
ジョルジュ・ボッティーニ
《フォリー・ベルジェールのバー・カウンター》
1907年
 ボッティーニは、1874年にイタリア系移民の両親のもとパリに生まれ、主にモンマルトルのバーやカフェの店内あるいは街角にいる女性たちを描き、1907年に33歳の若さで亡くなる。
 プチ・パレ美術館は、最大のボッティーニ・コレクションを有するらしい。
 
 本作は、あのマネの名作《フォリー=ベルジェールのバー》と同じ舞台。
 二人の女性の背後に、カウンターが同じようにあって、鏡には同じように観衆たち、照明、華やいだ世界が映っている。
 マネの複雑細密深淵な大虚構の世界と比べるのは酷だが、これもフォリー=ベルジェールのバーの実態を踏まえつつの一表現であると思うと、興味深い作品で、展覧会の案内板に選ばれたのも納得。
 
 ボッティーニのもう1点の出品作《バーで待つサラ・ベルナールの肖像》1907年。
 大女優の60歳前半の肖像。
 こちらも興味深く、ボッティーニの名を知ったことは本展での一番の収穫かもしれない。
 
 
モイズ・キスリング
《赤毛の女》
1929年
 キスリングの出品作は4点。
 風景、静物、庭で憩う二人の人物、そして、本作の女性像。
 
 キスリングらしい容貌の女性像、細長くデフォルメされているが、加えて極度に痩せさせているのだろうか。
 2019-20年に国内6箇所以上を巡回したキスリング回顧展にも出品されたが、会場によっては一部の作品に入替えがあったようで、東京会場には本作は姿を見せず、ちょっと残念に思っていたところ、思わぬリカバリーとなる。
 
 私的に気になる「キキ」の肖像は、本展に姿を見せなかった。
 
 他にも藤田嗣治(1点)、シュザンヌ・ヴァラドン(2点)、ユトリロ(2点)など、私的には最も見応えのある章。
 
 
 
 多少関心のある画家の数は増えたかもしれないけれど、鑑賞スタイルは当時とあまり変化していないかなあ。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。