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伝説の洋画家たち(東京都美術館)

2015年08月15日 | 展覧会(日本美術)

伝説の洋画家たち 二科100年展
2015年7月18日~9月6日
東京都美術館

 

8月11日に開催された「二科100年展ナイト」に参加する。

最初に、20分間の東京都美術館学芸担当課長の山村氏によるミニレクチャー。
記憶の範囲での箇条書き。

 

〈展覧会の概要〉

1)物故画家を対象。最新作品は吉井淳二の1968年作と、100年と謳いつつ、実質50数年が対象期間。二科会が一度解散する1944年までの30年間が全4章中3章を占める。

2)展示作品は全て二科展出品作品。そこは慎重に確認。

3)「伝説の」の基準。大きく2点。夭折、40歳前に没した画家。前衛、アバンギャルドの画家。

 

〈作品の前での解説〉

対象作品は、展示室内の移動距離が短くて済む第1章の次の3点。

1)有島生馬《鬼》1914年(32歳)、東京都現代美術館蔵、第1回出品作

角のない、異形的でない鬼。浅蜊売りのおじさんをモデルとしたらしい。

2)東郷青児《パラソルさせる女》1916年(19歳)、一般財団法人陽山美術館蔵、第3回出品作

19歳の時の作品。未来派風。

3)関根正二《姉弟》1918年(19歳)、福島県立美術館蔵、第5回出品作

19歳の時の作品。画家は翌年20歳で夭折する。


レクチャー終了後は、自由鑑賞。
写真撮影可。作品単体の撮影も可。たくさん撮影する。ただし、藤田嗣治の全2作品(残念)と梅原龍三郎の1作品の計3作品は撮影不可。
※会場内の画像は主催者の許可を得て撮影したものです。


約100人の画家・彫刻家の作品約120点の展示。

本展の項立ては、次のとおり。

第1章 草創期 1914~1919年 第1~第6回展

第2章 揺籃期 1920~1933年 第7~20回展

第3章 発展、そして解散 1934~1944年、第21~30回展

第4章 再興期 1945~2015年、第31~100回展

 

日本洋画に疎い私、名前を知らない画家が多い。認識しているのは、3割に満たないか。

 

ミニレクチャーで触れられた、本展としての最新作、初めて名前を知る吉井淳二(1904~2004)の作品が大トリ展示。

吉井淳二《舟をつくる》1968年(64歳)、学校法人ラ・サール学園蔵、第53回出品

もう1点、画家の1927年の作品が第2章にある。この2作品の間は、41年。作品が年代順に並ぶ本展、このように同一画家の作品がずいぶん間を置いて再登場するパターンは多い。

吉井淳二《踏切りのある風景》1927年(23歳)、鹿児島市立美術館蔵、第14回出品

 

 

初めて名前を知る中原實、キャプションに細かく記載する、その豪華な経歴こそが画家としてのウリなのだろうか。
→日本歯科医学専門学校卒業後渡米し、ハーバード大学卒業、仏陸軍歯科医を務めながら、美術を学び、第10回展に初入選。二科会会員、日本歯科大学学長、日本歯科医師会会長、私大協会会長等を歴任。

中原實《モジリアニの美しき家婦》1923年(30歳)、個人蔵(東京都現代美術館寄託)、第10回出品

 

マティス作品が登場することに驚く。

マティス《青い胴着の女》1935年(66歳)、石橋財団ブリヂストン美術館蔵、第23回出品。

マティスと親交のあった硲伊之助の依頼により実現したらしい。なんか光って見える。硲の作品も展示されているが、実にマティス風。


印象に残った作品は、別記事とする。

 

資料《絵はがき》東京現代美術館美術図書室蔵



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