ロンドン・ナショナル・ギャラリー展
2020年3月3日〜6月14日
→開幕日未定
国立西洋美術館
17世紀のスペイン宮廷美術。
ベラスケスが1660年に、フェリペ4世が1665年に死去する。
本作品は、彼らの次の世代の時に描かれる。
マルティネス・デル・マーソ
《喪服姿のスペイン王妃マリアナ》
1666年、196.8×146cm
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
まず、肖像画を描いた画家マーソ(1612/16頃-67年)について。
2018年「プラド美術館展」図録より。
・1633年にベラスケスの娘と結婚。岳父の庇護下で宮廷でのキャリアを積む。
・ベラスケスの死後1661年に宮廷画家に任命され跡を継ぐ。
・ベラスケスの真筆作としての質を有さないベラスケス風の作品は伝統的にマーソの手に帰すことで片付けられてきたため、今でも彼の制作の全体像をはっきりと把握することは極めて難しい。
・マーソの手になることが確かな肖像としては、《喪に服したマリアナ女王》(ロンドン、ナショナル・ギャラリー)が署名と1666年の年記を持つ点で基準作といえる。
→画家マーソの重要性は知らないが、画家マーソ研究にとって、本展出品作は重要な作品であるようだ。
スペイン王妃マリアナ(1634〜1696)について
・フェリペ4世の2番目の妻として、1649年に嫁ぐ。15歳のこと。
・彼女は、当初、フェリペ4世の最初の妻との間の息子で王太子であるバルタサース・カルロス(1629-46)の婚約者であった。しかし、王太子が17歳で病死する。そして、後継ぎがいなくなったフェリペ4世に嫁ぐこととなったのである。
さらに驚くことに、彼女は、フェリペ4世の実妹で神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の最初の妻であるマリア・アナの娘なのである。
・フェリペ4世と彼女との間では、5人の子どもが生まれる。
・1651年に生まれた最初の娘は、マルガリータ・テレサ。
ベラスケスによるプラド美術館所蔵《ラス・メニーナス》やウィーン美術史美術館所蔵の3点の肖像画(うち1点が2019-20年の国立西洋美「ハプスブルク展」に出品。マーソによるそのレプリカ?も出品)で知られる美少女で、1666年に神聖ローマ皇帝レオポルト1世と結婚する。
ベラスケス《ラス・メニーナス》部分
・二番目の娘は、生まれてすぐに死去。
・1657年に生まれた最初の息子フェリペ・プロスペロは、待望の跡継ぎであったが、1661年に4歳で病死。
・1658年に生まれた二番目の息子は1歳で亡くなる。
・そして、1661年、フェリペ・プロスペロが4歳で亡くなった5日後に生まれたのが、カルロス。「奇蹟の子」と呼ばれたのも束の間、すぐに「呪いをかけられた子」と呼ばれるようになる。
「3歳になってもまだ乳を飲み、話せるようになったのは4歳、歩行できたのは8歳になってから」、「フェリペ4世は我が子を恥じ、なるべく人目に触れないようにして、どうしても人前に出さなければならないときは、ベールを被せたことすらあった」。
・1665年、フェリペ4世が死去。カルロスは、カルロス2世として3歳で即位する。
マリアナは、幼い国王を助けるため摂政を務めることとなる。
さて、1666年に描かれた本作は、マリアナが摂政の座について以降最初に制作された肖像であるらしい。当時32歳。
後景では、4歳頃のカルロスとお付きの者たちが描かれていて、そこはベラスケス《ラス・メニーナス》風である。
マリアナが摂政を務めたのは1677年までであるが、実際は彼女が亡くなるまで影響力を保持したという。