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【前期】高雄曼荼羅「胎蔵界」、神護寺三像など -「神護寺 - 空海と真言密教のはじまり」(東京国立博物館)

2024年08月08日 | 展覧会(日本美術)
神護寺 - 空海と真言密教のはじまり
2024年7月17日〜9月8日
東京国立博物館
 
 
 「神護寺」展の前期(〜8/12)を訪問する。
 
 京都市右京区の高雄山の中腹に所在する神護寺は、824年に「高雄山寺」と「神願寺」がひとつになって誕生。唐から帰朝した空海(774〜835)が真言密教の拠点とした寺院。室町時代から紅葉の名所として知られているらしい。JR京都駅からバス50分+徒歩20分とのこと。長い石段も待っているようだ。大変そう。
 
 
【本展の構成】
序章 紅葉の名勝 高雄
1章 神護寺と高雄曼荼羅
 1節 草創期の神護寺 - 空海 -
 2節 院政期の神護寺 - 文覚、後白河法皇、源頼朝 -
2章 神護寺経と釈迦如来像 - 平安貴族の祈りと美意識
3章 神護寺の隆盛
 1節 神護寺に伝わった中世文書と絵図の世界
 2節 密教空間を彩る美術工芸品
4章 古典としての神護寺宝物
5章 神護寺の彫刻
 
 
【主に見たもの5選】
 
国宝《観楓図屏風》狩野秀頼筆
室町〜安土桃山時代 16世紀
東京国立博物館
 
「高雄の紅葉を楽しむ人々」
 清流・清滝川が流れ、橋のたもとに霊亀がいる。雲間に覗いている山上の山門、多宝塔、伽藍が神護寺。
 序章に属する作品は、本作ただ1点だが、前期限りの展示なので、後期は序章無しとなるのだろうか。
 
 
国宝《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)「胎蔵界」》
平安時代 9世紀
京都・神護寺
 
「真言密教の宇宙に包まれる」
 前期は「胎蔵界」の展示。
 約4.5m×約4.1mの大画面。空海在世時のもので、現存最古の両界曼荼羅とのこと。
 2016〜21年に、1309年、1793年に続く約230年ぶり3度目の修復を実施。
 花鳥の文様が織り出された綾という絹地に、金銀泥で描かれる。その色は、今は紺色に見えるが、もう少し紫に近い色味であったという。
 銀泥は変色して識別できないが、金泥の残る描線を単眼鏡で眺めて楽しむ。
 江戸時代・1793年の原寸大の模写(「胎蔵界」「金剛界」とも通期展示。ケースの高さが足らず、最下部分を床に這わせている)や、奈良・長谷寺に伝わる平安時代12世紀の白描の図像巻などが展示されるほか、映像解説室(4種の映像解説)もあるなど、高雄曼荼羅ワールドが繰り広げられる。
 後期は「金剛界」に展示替え予定。
 
 
国宝《伝源頼朝像》
国宝《伝平重盛像》
国宝《伝藤原光能像》
鎌倉時代 13世紀
京都・神護寺
 
「日本肖像画史上の最高峰」
 やまと絵系肖像画の大作「神護寺三像」との対面は、昨年(2023年)の東京国立博物館「やまと絵-受け継がれる王朝の美」展以来4度目。まさか2年連続で対面できるとは。
 特に「伝源頼朝」の容貌を単眼鏡で眺める。
 昨年ほどには「等身大座像」の大型画面3点の存在感を受けないのは、展示場所の関係だろうか。昨年の展示場所は国宝《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》に譲り、同作に向かい合う形で展示されている。それとも、三像の並びの関係だろうか。順路に従うと、昨年は、左から頼朝→重盛→光能と、三像の視線が中心に集まっていたが、本展では、右から頼朝→重盛→光能と逆で、画面外に拡散する感じ。
 
 
国宝《薬師如来立像》
平安時代 8〜9世紀
京都・神護寺
 
「日本彫刻の最高傑作」
 前身いずれかの寺院から空海が迎えられたとされる像。
 確かに「厳しい表情」をした「威厳に満ち溢れる」顔に、「重量感ある」身体の表現。
 実際に重いらしい。像の大部分を一本の木から彫り出して内部を空洞にしていないためであるらしい。
 
 
国宝《五大虚空蔵菩薩坐像》
平安時代 9世紀
京都・神護寺
 
「曼荼羅から抜け出したような彫像」
 肉感あふれる官能的表現を特徴とする初期密教彫刻の傑作との説明。
 寺では横一列に並べられているが、本展では、法界虚空蔵を中心に4体(金剛虚空蔵、業用虚空蔵、蓮華虚空蔵、宝光虚空蔵)を前後左右に並べる曼荼羅本来の整然とした配置としているとのことで、展示台の周りを回って鑑賞する形。不思議感のある空間。
 
 
 撮影可能作品も用意されている。
 
《二天王立像》
平安時代 12世紀
京都・神護寺
 
 
 後期は、国宝《釈迦如来像》(赤釈迦)平安時代12世紀や、国宝《山水屏風》鎌倉時代13世紀などが登場。再訪を考えている。


4 コメント

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神護寺展出品の仏像彫刻 (むろさん)
2024-08-13 23:31:32
私も先日東博の神護寺展に行ったところなので、彫刻関係の出品作(国宝・重文指定の4件)について少しコメントします。

まず、本尊薬師如来。この像を見るのは数十年ぶりですが、間近で見ることができるので、資料を集め最近の研究動向を把握した上で臨みました。長くなるので詳しいことは書きませんが、ポイントは
奈良時代の道鏡事件(皇位を乗っ取ろうとした道鏡に対し、和気清麻呂が宇佐八幡の神託により道鏡を排除)の対応のために、八幡神が邪神に打ち勝つことを念頭に作られた像であり、そのために厳しい表情になっている。神像として作られた可能性もある。神願寺と高雄山寺のどちらにあった像かで説が分かれていたが、現在は神願寺で決着している(皿井舞2011年美術研究403号 神護寺薬師如来像の史的考察)。造形的には、例えば奈良唐招提寺旧講堂木彫群のうちの薬師如来(数年前に国宝指定された像)と比べ、数10年程度の差しかないが、唐招提寺薬師は鑑真が連れてきた唐の工人の作であるために、空間的な立体把握がしっかりしているのに対し、神護寺薬師は正面観と側面観が全く異なるとか、上半身と下半身の中心線がずれている、両腿の張出しが異常なほど強調されているといった立体把握の破綻(個性か?)が強い。
といったところです。最後の両腿の張出しについては、側面から見ると、オリンピック選手でもこんなに腿の筋肉が付いている人はいないというほどの表現をしていると感じました。明日8/14からは三尊の後ろの壁が取り払われて背面も見ることができるそうですが、こういうことは最初からやってほしかったと思います。

五大虚空蔵菩薩についても見るのは数十年ぶりです(昔は頼めば多宝塔を開けてくれましたが、今は公開日が決まっているようです)。この像については本尊薬師如来のように制作年や本来の安置場所について説が分かれているということはないので、専論は出ていません。準備資料は基礎データ集(日本彫刻史基礎資料集成平安時代重要作品編2巻1976)と美術全集掲載の解説程度ですが、空海次世代の承和年間の彫刻作例の中での位置付けが論じられています。東寺講堂の四菩薩、大阪観心寺の如意輪観音との比較で、以前は東寺講堂諸像の後に観心寺如意輪観音と神護寺五大虚空蔵菩薩が作られたとされていましたが、現在は東寺講堂諸像の方が後になって作られたことが判明しているので、それらの影響関係を見直し、観心寺像と神護寺像の様式的飛躍がどこから来たのか(唐の同時代様式の輸入か)の解明が現在のテーマのようです。観心寺如意輪観音と神護寺五大虚空蔵菩薩はとてもよく似ている像で、観心寺像は嵯峨天皇の妃 橘嘉智子による発願、神護寺像は嘉智子の子 仁明天皇による発願であり、その辺の事情は吉川弘文館の人物叢書「橘嘉智子」と「仁明天皇」(ともに2022年発行)に書かれています。また、承和様式の彫刻の比較については、岩波2021年発行、シリーズ古代史をひらく 国風文化―貴族社会のなかの「唐」と「和」所収の皿井舞 国風文化期の美術―その成立と特徴 に書かれています。

運慶の孫、康円作の愛染明王。これは以前から東博に寄託されている像であり、時々展示されています。現存するいくつかの康円作品では最晩年(文永12年1275)の作。資料としては日本彫刻史基礎資料集成鎌倉時代造像銘記編12巻と西川新次著康円研究序説 東博紀要3号1968年程度で、像自体を詳しく扱った専論は出ていません。東博所蔵の同じ康円作四天王眷属像(1267)や文殊五尊(1273)と同時に本館1階11室に展示されることもあると思うので、その時に比べてみるのもいいと思います(文殊五尊は11室で現在展示中、9/29まで)。

板彫り弘法大師。この像は初めて見る作品で、もっと小さいものを想像していたので、大きさに少し驚きました。この像に関する専論は一つしか出ていませんが、インターネットで読めます(下記URL)。但し、図は著作権の関係で掲載されていません。(私は掲載誌―同志社大学文化学年報65集からコピーしています。)
https://doshisha.repo.nii.ac.jp/records/27569
ネットで探したら、図2の絵(絵巻のうち空海が楠の洞に自身の像を彫っている場面)が出ているものがありました(下記URL)。上記杉崎論文掲載図のうちではこの図2が最も重要だと思います。図3~5はいずれも彫られた空海像に関するもの(保護のための建物とか空海の手の印相の相違など)です。
●投稿不能のためURL削除→別コメントに掲載●
また、参考として、現在の金剛頂寺大師堂の裏にこのエピソードを表わしたレリーフが飾られている写真がありましたので、これもご紹介しておきます。
https://tokushimagoshuin.com/kouchi-kongouchouji-goshuin

この板彫り像については、神護寺略記に書かれた「正安四年1302 仏師定喜作」は信頼できるものと思いますが、現在金剛頂寺に残る重要文化財板彫り真言八祖像(嘉暦二年1327 仏師定審作の銘)との関係など分からないことばかりです。平安時代後期~鎌倉時代には四国の各地で弘法大師伝説にまつわる多くの事跡が整備されたこと、その一つとして空海自刻の本人をモデルにした立ち木仏伝説が作られ、この模刻を作るため、または枯れた木の材木片自体を使った弘法大師像を作るために仏師が四国に派遣されたことなどは理解できました。なお、現在の板彫り像は楠ではなく桧材製のようです。詳しいことは上記杉崎論文をお読みください。(金剛頂寺板彫り真言八祖像の写真は下記URL)
https://plaza.rakuten.co.jp/captriko1/diary/201605140000/#goog_rewarded

資料の事前準備や東博の展示を見て感じたことは、①空海は既存の寺を活用し、そこに新しい密教の要素を持ち込むことで後の真言宗発展の基礎を築いたこと(神護寺と同様、京都の東寺も本来は薬師如来を本尊とする鎮護国家の寺だったが、空海が賜ったことで密教化した。もっとも三井寺も円珍以前は弥勒菩薩を本尊とする寺であり、現在も金堂本尊として祀られているので、空海だけのことではありませんが)、②奈良時代から平安時代初期の仏像は「神」の像として作られたという例が相当数あるが、明治初期の神仏分離でそのことが分かりにくくなっていること(聖林寺十一面観音など)、③そして、神護寺薬師が宇佐八幡の託宣に関係しているように、現在我々が思っているよりもはるかに神と仏が近い存在であったことなどを実感しました。(神護国祚真言寺という正式名称自体が八幡神が国=天皇を守ることと真言密教の二つを兼ねているということですから)
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送信できなかったURL (むろさん)
2024-08-13 23:56:41
https://tono202.
返信する
送信できなかったURL 2 (むろさん)
2024-08-13 23:58:08
livedoor.blog/archives/8699651.html
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Unknown (k-caravaggio)
2024-08-16 00:05:48
むろさん様
いろいろと教えていただきありがとうございます。
後期訪問の際には、NHK日曜美術館とともに、むろさんさんのコメントを参考にさせていただきます。
国宝《薬師如来立像》については、後期から、後背を取り、背後の白い幕も取り、360度鑑賞ができるようになるのですね。1089ブログ(2024.8.14付)によると、展覧会開幕後も神護寺と交渉していたようです。楽しみです。
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