東京でカラヴァッジョ 日記

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「生誕110年 香月泰男展」(練馬区立美術館)

2022年02月14日 | 展覧会(日本美術)
生誕110年 香月泰男展
2022年2月6日〜3月27日
練馬区立美術館
 
 香月泰男の代表作「シベリア・シリーズ」を観るのは、今回が3度目。
 
 1度目は、2004年の東京ステーションギャラリー「没後30年 香月泰男展」。
 加えて、その後の巡回先・静岡県立美術館にも遠征したのは、立花隆氏の著書『シベリア鎮魂歌-香月泰男の世界』の言葉「特に東京会場しか行かず、全点を見られなかった人には、「あなたのような見方では、まだシベリア・シリーズを見たことにはならない」ということを強調」を真に受けたもの。
 同展では、図録を見る限り、「シベリア・シリーズ」全57点が、主題の時系列順に展示された(東京ステーションギャラリーでは、全点の展示ではなかったようである)。
 
 2度目は、2016年の平塚市美術館「香月泰男と丸木位里・俊、そして川田喜久治」展。
 同展では、「シベリア・シリーズ」全57点のうち34点が、主題の時系列順に展示された。
 
 そして3度目が、今回2022年の練馬区立美術館「生誕110年 香月泰男展」。
 本展での「シベリア・シリーズ」は、主題の時系列順ではなく、シリーズ以外の作品とあわせて制作順に展示される。
 1度にシリーズ全点の展示は難しいらしく、一部が前後期で展示替えされる。
 
 
【本展の構成】
第1章 1939-49 逆光のなかのファンタジー
第2章 1950-58 新たな造形を求めて
第3章 1959-68 シベリア・シリーズの画家
第4章 1969-74 新たな展開の予感
 
 
 「シベリア・シリーズ」の各作品には、香月自身の手による解説文が存在する。
 香月には、作品を安易には「人に理解されたくない」一方で、「やはり分かってもらいたい」という相反する気持ちの葛藤があり、その解決策として文章を添えることとした。
 同シリーズには、抽象的な描写と色数の少なさにより、一見しただけでは内容の理解が難しい作品が多い。しかしこれらの解説文を読むことで、すべては香月の実体験に直接根ざしたものであることが理解できる。(会場内解説より)
 
 そして、本展でも、シリーズ全点に、その香月自身の手による解説文がグレー地のキャプションにより添えられる。
(企画者による通常の解説文は、白地のキャプション。)
 
 確かに作品を見るだけではなんだか分からない。まず作品を見て、画家の解説文を読んで、改めて作品を見る、を繰り返す鑑賞。
 
 また、この製作順の展示というのが、主題の時系列順の展示とは別の観点、画家の造形探求の観点も加わった鑑賞となって、非常に興味深い。
 
 
 
 シベリア・シリーズ本格着手前の時代に制作し、後年になってシリーズに編入した作品。
 
《雨(牛)》
1947年、山口県立美術館
 旧満州国ハイラル市第19野戦蒲田廟駐屯時代(1943.4〜1945.5)。
 復員の翌々月、復員後おそらく最初の本格的な15号の油彩画を制作する。本作はその3カ月後にそれを50号に移したもの。
 抒情的な暖色。
 駿牛図を想起して描いたという右側の馬。
 
 5月過ぎのホロンバイル。風の強い日は防塵眼鏡が必要な程の砂煙であった。黄色い空を一掃するような夕立が終ると、わだちの跡の水たまりに、のぞき始めた青空が映って見える。大地があり、生きものがいれば、どこでも絵になると思った。復員後、国画会初出品の絵である。
 
 
 
 1959年からの本格着手後、1967年の32点を収録した『画集・シベリア』刊行後頃まで。
 黒と炭のモノクロームの世界。
 この時期、必ずしもシリーズ化を意図していたわけではなかったらしい。
 日常生活のなかで不意に蘇ってくる兵役と抑留の記憶。その記憶の震度に応じて作品の主題として取り上げる感じであったのだろうか。描きつづけるなかで、次第に一つのまとまりを持つようになったという。
 
《1945》
1959年、山口県立美術館
 敗戦後、シベリアへの輸送の途上。
 モノクロームで描かれる、赤い屍体。
 
 奉天から行く先も知らぬ北上を続ける時、沿線に遺棄された屍を見た。住民による私刑の果てでもあろうか、衣服をはぎとられ、裸身に秋の陽光が赤く光っていた。
 
 
 
 踏ん切りを付けるはずだった画集の刊行後も、シリーズを継続して制作する。
 シリーズを意識して主題を選択する。従来のモノクロームの世界から、色彩が登場し、また俯瞰的な視点で描かれるようになる。
 
 
《日本海》
1972年、山口県立美術館
 帰国直前のナホトカ。
 地中にある顔の造形や手の組み方を素描段階から変更する。
 海の強烈な青。
 
 あざやかな群青の日本海を望むナホトカの丘に、帰国を目前にして倒れた日本人が埋葬されていた。靴をはいた両足だけが地上に出ていた。死者の無念さへの共感をこめて、顔と手を描き加えた。
 
 
 
 そして、シベリア・シリーズ作品の隣に展示される、晩年のちょっとした何気ない風景を描いた作品にも惹かれるものがある。
 
《公園雪》
1971年、島川美術館
 国内旅、ホテルの窓から見た雪景色を描いたらしい。
 
 
 
 香月と言えば、立花隆著『シベリア鎮魂歌-香月泰男の世界』の次の文章を思い浮かべる。
 画家というのは、異世界を見ているらしい。
 
 一人の絵描きとして、いつも私は普通の兵隊とは別の空間に住んでいた。生命そのものが危機にさらされている瞬間にすら、美しいものを発見し、絵になるものを発見せずにいられなかった。頭の中に画面を想像してはモチーフをそこにおさめるための構図を考えつづけていた。人の死に直面しているときでも、頭の中でそんな作業をくりかえしている自分に、絵描き根性のあさましさを感じて思わずぞっとするときもあった。しかし、この絵描き根性があったがゆえに、ほかの兵隊たちが完全な餓鬼道に陥っているようなときにも、一歩ひいたところに身を持していることができたのだろう。絵描きであったことは、私の特権であり、私の幸せであったと感謝している。
 
 
 
 これからも定期的に観たい「香月泰男展」。
 


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