東京でカラヴァッジョ 日記

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エドゥアール・マネ雑記 -「日本の中のマネ」展(練馬区立美術館)

2022年10月11日 | 展覧会(西洋美術)
日本の中のマネ
出会い、120年のイメージ
2022年9月4日〜11月3日
練馬区立美術館
 
 
 昔。
 「マネ」と「モネ」は同一人物だと思っていた。
 「ゴーガン」と「ゴーギャン」と同じく、原語を日本語に訳したときに生じる表記のブレと思っていた。
 なんか違うかも、とは所詮美術に興味がなかったのだから思うこともない。
 
 
 初めての海外で訪問した某美術館にて。
 
 《オランピア》と《草上の昼食》。
 《ルーアン大聖堂》や《日傘の女性》。
 
 教科書などで見た覚えのあるイメージ。
 
 「マネ」=「モネ」の私は、《オランピア》から《ルーアン大聖堂》に変貌するみたいな解釈をしながら見ていたが、さすがに実物を前におかしいと思う。
 キャプションの画家名をきちんと見る。
 「Manet」と「Monet」。
 違う、一字、別人だ。
 
 そして、「モネ」のほうに興味を持つ。
 このときから、私の美術鑑賞趣味が始まる。
 
 
 
 「マネ」の名を冠した展覧会は、日本において過去3度開催されているという。
 1986年の東京・福岡・大阪の「エドゥアール・マネ」展(私の美術鑑賞史以前の出来事)。
 2001年の府中市美術館と奈良の「マネ」展(行ったかどうか記憶なし)。
 2010年の三菱一号館美術館の開館記念展「マネとモダン・パリ」展(実に見応えのあった展覧会)。
 
 それ以外にも、1999年のオルセー美術館展などで、マネ作品と対面する機会はあったが、それほど熱心ではなかった。
 
 
 
 それが変わる機会がくる。
 
 2011年の国立新美術館「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」のメインビジュアル。
 
マネ
《鉄道(サン=ラザール駅)》
1873年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー
 1994年の国立西洋美術館「1874年 - パリ 「第一回印象派展」とその時代」展にも出品されているが、確かに見た記憶は残っている程度。
 
 前年の「マネとモダン・パリ」展により下地ができていたのであろうか。
 《鉄道》の素晴らしさ、そして深さに感心するばかり。
 これ以降、マネ作品を熱心に見るようになる。
 
 
 
 2011年以降観たマネ作品、ベスト3。
 
《鉄道(サン=ラザール駅)》
1873年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー
(2011年の国立新美術館「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」にて)
 
 
《アルジャントゥイユ》
1874年、トゥルネー美術館、フランス
(2014年の京都文化博物館「光の讃歌 印象派展」にて)
 
  《フォリー=ベルジェールのバー》 
1882年、コートールド美術館
(2019年の東京都美術館「コートールド美術館展」にて)
 
 
 これからもマネ作品の代表作が来日してくれることを期待して待つ。
 
 ただ、《草上の昼食》は1986年のロンドンただ1度、《オリンピア》は2013年のヴェネツィアと2016年のロシア2都市の2度、遠征した以外は、ずっとパリにいるようだし、他の代表作も同様に所蔵館からなかなか離れないだろうけど。
 
 
 
 
 さて、「19世紀フランスを代表する画家」エドゥアール・マネ(1832‐83)の日本における受容について考察する本展。
 
 
【本展の構成】
 
第1章 クールベと印象派のはざまで
第2章 日本所在のマネ作品
第3章 日本におけるマネ受容
第4章 現代のマネ解釈 - 森村泰昌と福田美蘭
 
 
 「キャプションの解説が長い」
 「福田美蘭が最後にすべて持っていく」
 「フォトスポットが完全に逆光」
との評価が聞こえる本展。
 
 
「キャプションの解説が長い」
 
 私的には、三浦篤氏による、マネを「ポスト・レアリスム」の画家と位置付けている説明文を興味深く読む。
 1810年代に生まれた「レアリスム」の画家たち(クールベ、ミレー、ボンヴァンなど)。
 1840年頃に生まれた「印象派」の画家たち(モネ、ルノワール、セザンヌなど)。
 その間の、1832年生まれのマネは、ほぼ同じ世代で交友のある画家たち(ファンタン=ラトゥール、ルグロ、ホイッスラーなど)とともに、クールベのレアリスムを新たな方向に展開させたということで、「ポスト・レアリスム」の画家と命名したい、とのこと。
 その概念がどの程度受け入れられているのか、妥当なのかは分からないが、これまで今ひとつしっくりとこないと思いつつも「印象派」の画家と呼ぶ以外の術を持たなかった私にとって、「印象派」とは違いますという点は、まさしくそうだなあと思う。
 
 
「福田美蘭が最後にすべて持っていく」
 
 「第1章 クールベと印象派のはざまで」で、国内からクールベ、セザンヌ、ピサロ、モネ、メアリー・カサット、ドガが各1点、シスレー2点+長いキャプション。
    「第2章 日本所在のマネ作品」で、国内からマネの油彩/パステル7点・素描1点・多くの版画+長いキャプション。
 「第3章 日本におけるマネ受容」で、《草上の昼食》に影響を受けた石井柏亭《草上の小憩》から始まり、山脇信徳の高知市所蔵のマネというより「印象派/新印象派」でしょう何故ここに?そういえば昨年の「電線絵画展」にも出品されていたし練馬区立美術館はこの画家を推しているのかなあの2点とその隣になるほどこの作品があるが故に先の2点も出品されたのかと思い至るオスカー・ラインハルト・コレクション所蔵のマネ作品の部分模写作品1点、日本の洋画家たちによる《オランピア》の影響を受けた裸婦像や《オランピア》《草上の昼食》というよりセザンヌ「水浴図」から影響を受けたような裸婦像約10点、マネの影響ありと言われても?な小磯良平《斉唱》など+日本におけるマネ受容を示す資料群+長いキャプション。
 「第4章 現代のマネ解釈」で、森村泰昌氏のマネ作品の登場人物に扮した作品群。
 
 と積み重ねてきて。
 最後に登場する福田美蘭氏。
 作品11点(うち新作9点)が炸裂。
 
 《帽子を被った男性から見た草上の二人》の図版が掲載された日経新聞記事の切り抜きに画家のサインと制作年・エディションナンバーを入れた《日本経済新聞1998年5月3日》にも驚くが、最も衝撃だったのは《ゼレンスキー大統領》、これは《フォリー=ベルジェールのバー》じゃないか。
 
 
 
「フォトスポットが完全に逆光」

 確かに苦戦、かな。



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