2002年12月7日、ゴッホ美術館。
梯子を使って美術館の屋根から侵入した二人組により、ゴッホ作品2点が奪われた。
《スヘフェニンゲンの海の眺め》
1882年
34.5×51cm
《ヌエネンの教会から出る人々》
1884年
41.5×32cm
犯人は、翌年に逮捕されるが、彼らの手元には既に作品は存在せず、絵の行方はわからない状態であった。
FBIが2012年に発表した盗難美術品の評価額リストでは、総額3000万ドルと2位に挙げられた。
そして、本年9月30日、イタリアの検察当局は、上述の2作品が、マフィア組織が所有するナポリ近郊の家から発見されたと発表した。
盗難から14年後の発見である。
絵からは額縁が外されており、一部に損傷が見られるものの、状態は比較的よいという。
ゴッホ美術館によると、2作品はイタリア当局による捜査の証拠品として扱われているため、アムステルダムへの返還のめどは今のところ立っていないという。
《スヘフェニンゲンの海の眺め》は、ゴッホが、伝道師としての道が絶たれ、画業を本格的に初めて間もない時期、1882-83年、オランダ・ハーグに居住し、娼婦シーンとその家族と同居していた時期の作品である。
スヘフェニンゲンは、デン・ハーグ中心部から約6km北西の、北海に面した長い砂浜と観光漁港のあるリゾート地。
昔は寂れた漁師町だったが、1818年の浴場開設によりリゾート化が始まり、1886年に地域のシンボル的建物となるクルハウス・ホテルが建てられる。リゾート化が進む時期のスヘフェニンゲンを描いたハーグ派画家の作品を、2014年の現損保ジャパン日本興亜美術館の「オランダ・ハーグ派展」で何点か見た記憶がある。
蛇足だが、「Scheveningen」という地名は、読み方次第で「スケベニンゲン」となるため、日本人限定ではあるが、珍地名として話題にされることもある(以前、「スヘフェニンゲン」が題名に含まれる絵画の前で思い出し笑いをしそうになった私)。
ゴッホの書簡(ゴッホ全油彩画 TASCHEN刊より)
「僕はよくスヘフェニンゲンに行った。小さい海景画2点を家に持って帰った。最初の1点にも砂がたくさんついたが、2点目は正真正銘の嵐で、海が砂丘の間際まで押し寄せてきた日に描いたので厚い砂で全部覆われてしまい、2度も削り落とさねばならなかった。風がとても凄くて、ほとんど立っていることができず、砂が舞って何も見えなかった。」
書簡の2点目と言っている作品が、今回発見の作品とされる。
1883年9月にハーグを出たゴッホは、ドレンテ地方を放浪後、同年12月に父親が前年8月から仕事のため移り住んでいたヌエネンに帰省し、約2年間を過ごす。
この間の1884年に制作されたのが《ヌエネンの教会から出る人々》。牧師である父親と母親のために描いたともされる。その約半年後、最初の代表作となる《ジャガイモを食べる人々》を制作する。
1885年に父親が死去。実家を出て、その後ヌエネンも出て、アントワープ短期滞在後、1886年、弟テオを頼ってパリに出る。ゴッホ芸術の開花も近い。
さて、これら2作品は、盗難以前に来日したことはあるのだろうか。ゴッホ美術館所蔵作品によるゴッホ展は結構な頻度で開催されているのでその可能性は高いと思うが、確認には至らない。落ち着いたら是非来日して欲しい。