ロンドン・ナショナル・ギャラリー展
2020年3月3日〜6月14日
→開幕日未定
国立西洋美術館
ゴヤ
《ウェリントン公爵》
1812-14年、64.3×52.4cm
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
スペイン独立戦争のさなかである1812年の8月、ウェリントン公爵の率いるイギリス・ポルトガル・スペイン連合軍がサマランカの戦いでフランス軍を破り、12日に首都マドリードに入城する。
マドリード市民たちは、「解放軍」の入城を熱狂的に歓迎する。
その20日後。
・・・・・・・・・・
9月1日の新聞に次のような公告がのせられる。
明日より来月11日金曜日まで、休祭日を除き、王立アカデミイの広間は、午前10時より12時まで、午後4時より6時まで公開される。広間のうちの一つには王の首席画家にしてアカデミイ絵画部長、ドン・フランシスコ・ゴヤ描くところの元帥ウエリントン卿にしてシゥダード・ロドリーゴ公爵の騎馬像が展示される。
ゴヤは全体でウエリントン像を、赤チョークでのデッサンをいれて四枚描いている。
問題の騎馬像は現在ロンドンのウエリントン博物館にあるもので、一時盗難にあったりして有名なことになったが、これはゴヤの手になる騎馬像のなかでも出来がわるく、馬の顔は首よりも小さく、絵自体の保存もよくない。馬それ自体よりもウエリントンの顔の方が馬の顔に似ている。ウエリントン自身も気にいってはいなかったのであろう。
ゴヤ
《ウェリントン公爵騎馬像》
1812年、294×241cm
アプスリー・ハウス、ロンドン
もう一枚の、勲章を帯びた半身像のための赤チョークのデッサンが大英博物館にあり、それを当局の好意で私は机の上に置いてしげしげと眺める機会に恵れ、(略)このデッサンをよくよく眺めていると、如何にうまく、かつ適確にこの英国人を描いているかということが、これまたしみじみとわかって来るのである。
状況についてのすべての可能性を冷静に計算しつくした後に、彼は行動に出る。口数も極端に少く、必要なことだけしか言わなかったということで有名であったが、ゴヤの描いた四枚の肖像画は明らかにそういう性格をつかみとっている。
ゴヤのデッサンで見る限りでは、眼はいささかおちこみ、頬もこけている。筋肉質の頬の肉が顴骨にはりついて、おそろしくヒゲが濃い。野戦生活の疲れが出ているかに見える。おそらくはスペインの真夏の陽光に灼かれて手ひどく日焼けしていたものであろう。
ゴヤ
《ウェリントン公爵》(デッサン)
1812年、23.2×17.5cm
大英博物館
このデッサンにもとづいての作品は、不出来な騎馬像をも含めて三枚あり、スペインの最高位の勲章である金羊毛勲章をつけたものは、ロンドンのナショナル・ガラリイにあるが、私が見に行ったときは盗難にあっていて留守であった。もう一枚の、フロックコート様のものに大きなケープをまとい、双角帽をかぶった、幾分若目に描かれているものは、現在ワシントンのナショナル・ガラリイにある。その実に青い目は、画家を注視していて、あたかも"こいつらは何を考えているものだろう?"とでもいうような、幾分は軽蔑感のこもった眼差しをもっている。
ゴヤ(工房作)
《ウェリントン公爵》
1812年頃、105.5×83.7cm
ワシントン・ナショナル・ギャラリー
このデッサンをも含めての四枚の特徴は、いわゆる表情というもののまったくないことである。顔面はまるで凝結をでもしたかのように硬わばっている。あたかもまったくの未知、不可解なものに接しているかのような面持ちである。おそらくこの植民地での軍事と行政の実務家には、画家フランシスコ・ゴヤなどというものは不可解であったであろう。ましてや首席宮廷画家などと称させたりして、この貧乏国が芸術などというものに国家の金を浪費したりすることも彼の理解の外であったであろう。
どれだけ書いてみても私にはゴヤという人は依然として一つの謎なのであるが、この人のいわば端倪すべからざる性格は、ウエリントン卿騎馬像の、いま乾いたばかりの絵具の下にも存していた。最近の研究によると、このウエリントン(騎馬)像の下に、もう一人の、別の人間の騎馬像があることがわかった。
しかも、その人間が、ジョセフ・ボナパルトかもしれず、またあのゴドイであるかもしれず、どちらとも決定出来ないというのである。
おそらく下手な馬はそのままで、人物だけを差し替えたものであろう。塗り潰されたのがジョセフであってもゴドイであっても、ウエリントンに対する敬意などというものはゴヤの側には皆無と見える。
軽蔑には軽蔑を!
堀田善衛『ゴヤ 3』(新潮社刊)より
・・・・・・・・・・
本展出品作。
勲章類の多くが位置を描き直されたり、あとから追加されたりしているとのことで、特にピンクと青のリボンで首から下げられた、3つの留め金のあるブローチと十字架状の記章は、1813年の10月になって与えられた半島軍功金十字章で、最後に描き足されているらしい。
さて、堀田氏は、ロンドンナショナルギャラリー訪問時、本展出品作は見ることができなかったとある。1961年に本作が盗難にあったためである。