東京でカラヴァッジョ 日記

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聖ロッコ(聖ロクス)-ペスト流行期の聖人

2020年05月07日 | 西洋美術・各国美術
   聖ロッコ。
   ペストなど伝染病の守護聖人。
 
   ペストなど伝染病の守護聖人としては、聖セバスティアヌスや聖クリストフォロスなどがポピュラーである。
 
   新参者である聖ロッコは、これら初期キリスト教時代の聖人と比べ、ペスト大流行の時代に生きた人物である、ペスト患者の看護者である、さらには、自らもペスト罹患者で、かつ回復者であるという経歴の持ち主である、という「強み」があった。
 
   そのため、15世紀から19世紀初めにかけて、伊・仏・独を中心に人気の聖人であったという。
 
 
   聖ロッコは、巡礼杖を持ち旅装束をまとい、ズボンを下してあるいは裾を引き上げて、太腿をあらわにし、そこにあるペスト痕を観者に見せる姿で描かれる。
   ペストの発生と回復を伝えた天使や、ペストに罹患して自主隔離したときにパンを運んだ犬が伴う場合もある。
   聖ロッコが描かれた15世紀後半の作品からクリヴェッリ2点とペルジーノ1点。
 
クリヴェッリ
《聖ロッコ》
1480年頃、40×12.1cm、
ウォレス・コレクション、ロンドン
 
クリヴェッリと工房
《聖ロッコ》
1485年頃、70×33cm
アカデミア美術館、ヴェネツィア
 
ペルジーノ
《聖セバスティアヌス、断片の聖ロッコと聖ペテロ》
1478年
サンタ・マリア・アッスンタ教会、チェルクエート(ペルージャ)
 
   ペルジーノの初期作品。左脚の腿とペスト痕、聖ロッコ判別の決め手となる箇所が残る。
 
 
 
   ロッコは、1295年、南仏モンペリエにて執政官の一人であった父のもとに生まれる。20歳のとき両親を亡くしたことを機に、全財産を貧しい人に贈り、ローマ巡礼の旅に出る。
 
  その道程で立ち寄ったアックアペンデンテやチェゼーナなどの街でペストと遭遇し、病院や家々を訪ね、患者の看病に献身する。なんでも、ロッコが患者の頭上に十字架の印を結ぶと、ペストがたちまちに癒える奇跡が起きたという。
ティントレット
《ペスト患者を看病する聖ロッコ》
1549年、304×673cm
サン・ロッコ教会、ヴェネツィア
 
    そうしながら、ローマに到着する。そこで一人の枢機卿を回復させたことをきっかけに教皇と謁見する。
 
    三年後、帰路についたロッコは、ピアチェンツァにて、ついに自身がペストに罹患してしまう。
    ロッコは自主隔離を決意し、人里離れた森に籠る。喉の渇きに苦しみつつ祈りを唱えると、自然に泉が湧く。空腹に苦しむと犬がパンを運んできてくれる。我が飼い犬が毎日パンをくわえて何処かに出かけるのを不思議に思った同地の貴族が犬の後を追い、ロッコを発見する。彼の助けもあり、ロッコは無事回復する。
 
    旅を再開したロッコは、フランスの某地で怪しい風体の男として投獄され、そのまま五年後に獄中で亡くなる。1327年のこと。すると、遺体の周りでは数々の奇跡的な現象が起こる。同地の領主が確認したところ、自分の甥であることが判明し、教会に手厚く葬る。
 
   なお、ロッコの生没年は、上記のとおりだと、ペストのイタリア上陸前のことになる。それで、1345/50年生・1376/78年没説もある。そもそも実在した人物と考えるかどうかもある。
 
 
   聖遺物もある。
   北伊・仏・独・瑞西などにあるようだが、有名なのはヴェネツィアのサン・ロッコ教会のものらしい。
    1477〜79年のペスト流行を機に結成されたスクオーラ・ピッコラ・ディ・サン・ロッコの会員がロンバルディアの町ヴォゲーラにあるロッコの聖遺物を手に入れる。
   ヴェネツィアらしく、ヴォゲーラ伯の城から盗み出したとか、ヴォゲーラの聖堂参事会長の同意を得て購入したとか言われている。
   1485年、聖遺物は、盛大な行列でもってヴェネツィアへ運び込まれ、10人委員会はスピード感をもってその真正性を承認する。1484年のペスト流行が背景にある。
 
 
   ロッコが正式に列聖されるのは、18世紀の半ば、教皇ベネディクト14世(在位1740〜58年)によってである。
 
 
カナレット
《聖ロッコの祝祭》
1735年頃、147.7 x 199.4cm
ロンドン・ナショナル・ギャラリー
 
   1576年のペストの終焉を祝い、毎年8月16日に行われた聖ロッコの祝祭。
   サン・ロッコ教会のミサに出席したヴェネツィアの総督と高官、外国の大使たち。
   画面の背景を大きく占める建物は、ティントレットの連作壁画で知られるスクオーラ・グランデ・ディ・サン・ロッコ(聖ロッコ大同信会館)である。
 
 
(以下を参照して記載しました)


2 コメント

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デルータ市立絵画館のサン・ロッコの絵 (むろさん)
2020-05-07 13:09:12
ペルジーノのサン・ロッコの絵ということでは、チェルクエートの聖セバスティアヌスの左側に一部だけ見える断片よりも、デルータの市立絵画館に全身像が残る絵があります。(下記URL。ご紹介の京都大学の論文にも図版が載っていますね。この論文は初めて知りました。ありがとうございます。)
http://www.comunederuta.gov.it/cultura-e-territorio/pinacoteca-comunale/
https://it.wikipedia.org/wiki/Padre_Eterno_con_i_santi_Rocco_e_Romano

この絵、2007年の新宿ペルジーノ展に出品されたので、私も見ることができました。図録には解説文も載っています。聖人2人の足の下とデルータの街並みの間には銘文の文字が描かれていて、ペルジーノという文字は残っていませんが、幸い年号の一部が読めるので1476年作と判定され、これはチェルクエートの絵の2年前です。そしてこの2つの絵はともにヴェロッキョの影響が認められるということで、その工房でペルジーノがボッティチェリやギルランダイオ、そして若いレオナルド・ダ・ヴィンチらと切磋琢磨していた時期の直後の作品とされています。

なお、ペルジーノは聖セバスティアヌスの絵を何枚も描いていたり、このようなサン・ロッコの絵も描いていますが、最後はペストで亡くなっています(ギルランダイオもペストで死亡)。ペルジーノにはこれらの絵のご利益は効果なかったようです。

(追伸:SCALA版Peruginoの本-英語版、Vittoria Garibaldi女史の著、東京書籍のシリーズで邦訳されていないもの―を以前のブログで「お持ちになっている」と読んだような記憶があります。私は持っていないので、この本の内容でお聞きしたいことがあるため、後日まとめて質問を書かせてください。)

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ペルジーノ ()
2020-05-07 17:31:41
むろさん様

コメントありがとうございます。
デルータ市立絵画館所蔵のペルジーノの作品も、候補としたのですが、断片作品を選びました。
2007年のペルジーノ展で来日していたとは。全く覚えてませんでした。確かに図録に載っています。教えていただきありがとうございます。
SCALA版Peruginoの本については、確かに持っているものの、「ドイツ語」版(誤って購入)ですので、何が書いてあるのか一つも分かりません。日本語版や英語版または(イタリアの画家なので)イタリア語版ならばともかく、ドイツ語版とは大大失敗でした。
ちなみに同書には、チェルクエート作品の図版は掲載されていますが、デルータ作品の図版は掲載されていません。
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