パスキン展
-生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子-
2015年1月17日~3月29日
パナソニック汐留ミュージアム
「ポンピドゥー・センター、パリ市立近代美術館、ヨーロッパ個人コレクション… 珠玉のセレクションによるパスキンの回顧展」とあるようにフランスからの出品がメインだが、国内から北海道立近代美術館所蔵作品がなんと6点もあって、フランス勢に負けず、存在感を放っている。
構成は時代順。
第1部~第3部の作品数は少なめ。
一方、パスキンの最盛期にあたる第4部は充実。パート1におけるパスキン・スタイルを獲得した時代の油彩13点(メイン・ビジュアル≪少女-幼い踊り子≫(1924年、パリ市立近代美)を含む)や、パート3における真珠母色の油彩11点・パステル1点が並ぶ様は、パスキン好きには見応え大だと思う。
第1部:ミュンヘンからパリへ<1903–1905>
1885年、ブルガリアに生まれる。
1896年、ウィーンで中等教育を受ける。
1903年、ミュンヘンで美術学校に通う。
素描画家として、風刺雑誌にプロとして挿絵を描くなど、早熟な成功者としての道を歩き始める。
第2部:パリ、モンパルナスとモンマルトル<1905–1914>
1905年、パリに移す
1906年、エルミーヌと暮らし始める。
1913年、モンパルナスへ引っ越す。
本名(Pincas)の文字を入れ替えたパスキン(Pascin)の名を用いるようになる。
油彩は独学。まだパスキン画風ではなく、総じて固い感じ。
なお、1920年代までは積極的に作品を発表していなかったという。
第3部:アメリカ<1914/15–1920>
1914年、戦火のヨーロッパを逃れ、アメリカへ行く。
1918年、エルミーヌと結婚。
1920年、アメリカ国籍を取得。
1913年に出品した国際現代美術展のアーモリー・ショーで高く評価されたことから、アメリカでは既に画家として名前を知られていた。
冬はアメリカ南部やキューバで過ごし、地域色豊かな作品を制作する。
第4部:狂騒の時代<1920–1930>
パート1;スタイルの獲得
パート2;素描、版画など
パート3;真珠母色の絵画
1920年、パリに移住し、モンマルトルにアトリエを構える。
1924-25年頃、絵画スタイルの成熟期を迎える。
1927年頃から、批評家たちから「真珠母色の時代」と称されるようになり、絶頂期を迎える。
1929年、画廊と契約を結び、芸術家としての自由を失ったと感じる。
1930年、アトリエで自死(45歳)
「狂騒の時代」、高い評価を受けて、次々と作品が売れた時代の寵児、「エコール・ド・パリの貴公子」だったらしい。
愛人リュシーとの不毛な愛、画商との契約問題、放蕩な生活・・・・は、この時代の画家お決まりのエピソード。
第4部の油彩画(その時代は10年に満たないのですね)は、いいなと思う作品が揃っていて、パスキンには関心外の私も楽しめる。
しかし、女性モデルを描いた作品ばかりだ。キャプションでは、画家の優しい/親密な視線が強調されている感。