ヌード NUDE
英国テート・コレクションより
2018年3月24日~6月24日
横浜美術館
ヴィクトリア朝から現代まで200年間の西洋美術の裸体表現の展開を追う展覧会。
ヌードに特化した西洋美術の展覧会は久しぶりだなあ。記憶の範囲では、2003年東京藝大美「ヴィクトリアン・ヌード-19世紀英国のモラルと芸術」以来。
英国テートの所蔵品からなる展覧会ということは、目玉こそロダンであるけれど、普段馴染みのない英国の芸術家による、馴染みのない英国系の主題が描かれた作品が主になるのか?
2003年の展覧会も、テートなど英国美術館の所蔵品が中心だった記憶があるし、テートはその系統の企画展の国際巡回に積極的なのだろうか?
とか思いつつ、横浜美術館を訪問する。
本展の章立て
1:物語とヌード
2:親密な眼差し
3:モダン・ヌード
4:エロティック・ヌード
5:レアリスムとシュルレアリスム
6:肉体を捉える筆触
7:身体の政治性
8:儚き身体
1:物語とヌード
19世紀英国ヴィクトリア朝時代のヌード作品。おそらく2003年の展覧会はこの章が全展示室に展開されたのであろう。
フレデリック・レイトン
《プシュケの水浴》
本展のトップバッター。まさしく女性ヌードを描くために描いた作品。迫力が今一つ。
ジョン・エヴァレット・ミレイ
《ナイト・エラント(遍歴の騎士)》
ヴィクトリアン・ヌードらしい理想型の女性ヌード作品。主題は「アンドロメダを救うペルセウス」 - 国立西洋美のプラド美術館展でルーベンスによる作品を見たばかり - かと思ったら、それと異なる英国系の物語の一場面であるようだ。これだから英国美術には馴染み難い。拘束された裸の女性というテーマは美術家と購入者が好むところなのだろう。下村観山(1873-1930)-著名な日本画家らしいが、どんな画家なのか知らない - はこの絵を気に入ったらしく、模写作品を残していて、横浜美術館が所蔵しているので、現在常設展のほうに展示されている。そんなことがあるとは下村観山も想像していなかっただろう。
ハーバード・ドレイパー
《イカロス哀悼》
キリスト哀悼かと一瞬思う。男性イカロスの逞しいヌードと、ニンフたちの若い女性の理想型ヌードの共演。
2:親密な眼差し
印象派以降の約半世紀、同時代の女性の日常的な室内空間でのヌード、画家とモデルのプライベートな関係性を漂わせた作品。
ドガ
《浴槽の女性》
ドガにしては珍しく?丁寧に描きこまれたパステル作品。
ボナール
《浴室の裸婦》
《浴室》
バスタブの中の妻を描いた2作品。横長の《浴室》は、黄色と白色と水色と白色とピンク色が横に長く並んでいて、その色彩が暖かい。
シッカート
《オランダ人女性》
シッカートといえば、昨年の上野の森美「怖い絵展」により、「切り裂きジャック」に尋常じゃない関心を示した画家(ひょっとすると真犯人?)とインプットされている。この作品もそういう目で見てしまう。顔が暗くてどう描かれているのかよく分からないことで、尋常じゃない感が増幅、この女性も事件関係者?
グウェン・ジョン
《裸の少女》
女性画家によるえらく細身の女性のヌード作品。画家はその女性モデルはえらく性格の嫌な奴だったと後に書き記しているらしい。そう聞くと画家の思いが作品に表れているような気がしてくる。
3:モダン・ヌード
マティス
《青の裸婦の習作》
マティスの初期作品。2章にも後年制作のマティス作品が展示されており、制作年と作品の位置付けが逆転している。
カール・シュミット=ロットルフ
《ふたりの女性》
ドイツ・ブリュッケ派の画家。ブリュッケ派を偏愛している私、嬉しく見る。キルヒナーとかオットー・ミュラーとかヘッケルも男女問わず多数のヌード作品を残しているので、それらもあったらなあと思うが、そうなると本章の趣旨が異なってくるか。
デイヴィッド・ボンバーグ
《泥浴》
ブログ記事にする際になってようやく勘違いに気づいたが、鑑賞中は題名を「混浴」と思い込んでいた。本展唯一、ヌード作品だとは分からない作品。ロンドンのホワイトチャペルにあったロシア式蒸し風呂に入る人々を描いたとある。
ジャコメッティ
《歩く女性》
本展で一番印象的な作品。制作当初、1933年の第1回シュルレアリスム展に出品されたときには、頭部と腕があったが、1936年の国際シュルレアリスム展に出品されるときにジャコメッティ自身が頭部と腕を取り去ったらしい。頭部と腕が欠けているが故に夢遊感が濃厚な魅力的な作品になったと思う。
ピカソ
《首飾りをした女性》
ピカソ晩年定番というイメージの女性ヌード作品であるが、この章に置かれると、ピカソの特異性が伝わってくる気がする。
4:エロティック・ヌード
ロダン
《接吻》
この大理石彫刻は、世界に3点しか存在しないらしい。大きい。重さも3.2トン、台座を含めると3.8トンあるらしい。360度鑑賞可能。撮影可とのことなので、遠慮なく撮影させてもらう。画像の掲載は別記事とする。
ロダン《接吻》を展示室の中心に置いてして、壁沿いの展示ケースなどに英国が誇る大巨匠ターナーによる「秘匿の(秘匿すべき)」エロティック・ヌードの素描作品、同性愛の男性を描くホックニー作品、春画そのもののピカソ作品など。
5:レアリスムとシュルレアリスム
バルテュス
《長椅子の上の裸婦》
今NYで話題?のバルテュス、当然登場。私的には構図や筆触に惹かれるけれど、モデルが女性ではなく男性だったとして、それでも惹かれるかと言えば、おそらく惹かれないだろうなあ。
スタンリー・スペンサー
《ふたりのヌードの肖像:画家とふたり目の妻》
この作品の図版は昔どこかで見たことがある、その遠慮のない裸体描写がえらく印象に残っている、まさか実物を見るときが来るとは。画面下部に何故か羊肉の切り身。人体の肌との質感の対比を狙っているらしいが、今一つピンとこない。
帰宅後、昔その図版を見たであろう書籍・雑誌を探してみたが、これだろうと思っていた同朋舎出版の『週刊グレート・アーティスト27 スペンサー』にその図版はない。同テーマの別作品の小さな図版はあったけれども、その図版と思い違いしたのだろうか。スペンサーは、宗教的主題を描くのが主で、あと第二次世界大戦での公式戦争画家としての活躍もあるが、本作のような作品は例外的であるようだ。画家とふたりの妻との関係は複雑であったようなことが上記雑誌に詳しく書かれているが、どうでもいいことなので読まない。
フランシス・グリュベール
《ヨブ》
フランスの画家。1944年の制作。占領下でも希望を捨てない寓意としてヨブの物語を取り上げたという。オットー・ディクスの新即物主義に影響を受けた人物表現が特徴の画家らしい。本作はいわゆるヌード作品という感じは受けない。
キリコ
《詩人のためらい》
トルソとバナナ。画面上部に小さく蒸気機関車。1913年制作と最盛期の作品のはずだが、今一つ緊張感不足の印象。
デルヴォー
《眠るヴィーナス》
ここまで完璧にデルヴォーだと、興味が湧いてこない。
6:肉体を捉える筆触
フランシス・ベーコン
《横たわる人物》
《スフィンクス-ミュリエル・ベルチャーの肖像》
ベーコン作品は、5点の水彩がテートから、2点の油彩画が東京国立近代美術館および富山県美術館から。テートの油彩画出品はやはり無理だったのだろうか。
7:身体の政治性
イギリス出身でアメリカに帰化した女性画家シルヴィア・スレイ(1916-2010)による、ゴヤあるいはモディリアーニのような雰囲気で男性ヌード作品を描くとこうなるよという、男性としては居心地のよくない作品《横たわるポール・ロサノ》。
アメリカの写真家ロバート・メイプルソープ(1946-89)による、女性ボディビルダーのリサ・ライオンを撮影したヌード写真3点。
アメリカの画家バークレー・L・ヘンドリックス(1945-2017)による、裸の細身の黒人男性を描いた《ファミリー・ジュールス:NNN(No Nakid Niggahs
[裸の黒人は存在しない])》。画面左端にある服の模様たる白人女性が裸体の黒人男性を見つめる構図。
[裸の黒人は存在しない])》。画面左端にある服の模様たる白人女性が裸体の黒人男性を見つめる構図。
8:儚き身体
1980年以降、大判写真による、ヌード作品。
アメリカの女性写真家シンディ・シャーマン(1954年生)による自分を撮った写真3点。グラビアのヌードモデルが撮影のあと、バスローブをまとっているというシーンを演じているらしい。
オランダの女性写真家リネケ・ダイクストラ(1959年生)による「産まれてまもない赤ちゃんを抱いている女性」写真3点。1時間後、1日後、1週間後で撮るらしい。出品作は、同じ女性の時間違い3点ではなく、別の女性の写真3点。
イギリスの男性写真家ジョン・コプランズ(1920〜2003)による自分の体を撮った写真。70歳を過ぎてから老いゆく自分の体を撮影しはじめたという。自分の顔は撮らず、体のみを撮る。
常設展にも、日本の作家による裸体表現の作品を展示する一画。
現代日本の理想型ヌード作品。
諏訪敦(1967年生)