東京でカラヴァッジョ 日記

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1973年のカラヴァッジョ

2017年04月01日 | カラヴァッジョ

1973年。

 

   その当時、カラヴァッジョの生年は1573年と考えられていた。
   つまり、1973年は、生誕400年記念の年。

 

   その年の4月、東京のイタリア文化会館の館長代理から電話を受ける。
「今年はカラヴァッジョ生誕400年だから、日本でも何か記念行事をして下さい。」

 

   今頃言われても、当然、展覧会の企画は出来ない。シンポジウム辺りか。

 

   一しきり人々に助力を求める。
「せめてもっと知られていたらねえ。」
「ラファエロ生誕500年はもうすぐじゃないか。」
「ミケランジェロの時は盛大にできるだろう。」

 

 

   仕方が無い。個人的に、カラヴァッジョ大回顧展を開催しよう。

 

   画家の生地から出発して、36年の生涯に辿った旅程を順にゆき、各地に点在する作品とあらためて向き合うのだ。

 

   だが、画家14歳から22歳までの空白期間の旅路をどうしようか。

   修行時代、ヴェネツィアに行った説があるが、確かではない。

   ロンバルディアで彼が何を見たかを知れば、ミラノの次に向かう先が、ヴェネツィアなのか、直ちにローマへ南下するのか、決めることができるのではないか。

 

 

   最初に、画家の生地、カラヴァッジョ村に行く。駅近くの集落では、メリージ姓が多いらしいことに気づく。住民に話を聞く。

「若者は皆ミラノへ行ってしまうよ。土地で働くのは年寄りだけだ。」
「ヴェネツィアによく行くかって? 遠いからねえ。」
「この辺りで一番いい町はベルガモかな。」

 


   次に、ミラノに行く。ちょうどミラノでは、17世紀ロンバルディア派展が開催中である。17世紀のロンバルディア美術、1565年にミラノ大司教となり、1584年に死去して早くも1610年に列聖される聖カルロ・ボッロメーオの影響が濃い時代の美術。

 

   さて、次にどこへ向おうか。画家はどこで修行したのか。
   ヴェネツィア? ボローニャ? フィレンツェ?

   (私見だが、画家は、フィレンツェで、中央イタリアの素描を学んだのではないか。)

 

   結局、ミラノからローマへ行く。初期作品、出世作品を見る。ローマ最後の制作となった《マリアの死》(ルーヴル美蔵)を思い起こす。

 

 

   ナポリへ行く。ナポリで描かれた2つの祭壇画は、《マリアの死》よりも元気がいい。

 

 

   当時も今もマルタは遠い。深夜、ナポリを汽車で出発し、翌日昼、シラクーサに到着し、即マルタに向かう。

 

   《洗礼者聖ヨハネの斬首》を観る。これ以前のどの作品よりも古典的偉大さをもつこの作品を前にして、彼の成熟期はこの絵以後にくるのではないかと思う。

 

   向こう1週間以内満員の飛行機と船に前途は絶たれる。マルタで徒らに時を費やす。晴朗とした紺碧の空はもはや敵でしかない。あの薄汚れたナヴォーナ広場の石畳を、いかに懐かしんだことだろう。

 

   シラクーサにやっと戻る。《聖ルチアの埋葬》を見るべく、教会に向かう。しかし、なんと、神父さんが、いま修復中と言う。マンマミア。せっかくここまて来たのに。
「悲しいのは私もです。ここは、空ろですよ」
「どんな絵か、ですって。素晴らしい。画家の絵がいつもそうなように、見れば見るほど、浮き出してくるようでね。強く、強く。」

 

 

   個人的な大回顧展の会期も、帰国すべき日が間近。急いでメッシーナへ汽車で向かう。夏休み終了のUターンラッシュで、汽車は手洗いまで満員である。

 

   《ラザロの復活》を観る。
   今まで見たどの絵とも違う! 非常に強い。色も、光も、闇も強い。かつてなかったものがそこにある。マルタからシラクーサに来たとき、画家に新しい何かが起こったのだ。

 

 

   パレルモに向かう。教会の鍵番の肥えた老婆に、扉の鍵をあけてもらいながら、言われる。

 

「絵はないよ。」
「おととし、あの窓から泥棒が入ってね。切っていってしまった。今頃はアメリカだよ、きっと!」

 

   祭壇画のあとの汚れた灰色の壁はひどく広く見える。今我々に解っている、画家の生涯の最後の作品《生誕》。

 

 

   画家は、シチリアを出て、ナポリ経由でローマに向かう途中で警官に逮捕される。
   釈放後、徒歩でローマを目指すが、8月の太陽に灼かれ、途上マラリアで亡くなる。既に恩赦が出ていて、《キリスト受難》の注文も待っていたというのに。画家の最後の所持品は、一枚の小さい洗礼者聖ヨハネの作品だったらしい。それが、ボルゲーゼ美所蔵作なのかどうか、その真偽はまだはっきりしていない。

 

 

   個人的なカラヴァッジョの大回顧展は、絵のないパレルモをもって終了する。

 



3 コメント

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Re:1973年のカラヴァッジョ (むろさん)
2017-04-02 11:14:37
これはいったい何? 出典は?
ご自身で創作されたのなら大したものです。

私のカラヴァッジョ遍歴はまだローマ、ナポリまでです。
今後5年以内ぐらいにシチリア、マルタまで行けたらいいなと思っています。マルタが最終目的地。3年前のナポリで見損なった笞打ちとウルスラを見るためにナポリを再訪し、そこからシチリアへ渡るつもりです。マルタへはシチリアから船で渡るのがいいか(船便の数が少ない?)、別の旅行の時にローマから直接飛行機で行く方がいいか、時間と料金も考え検討する予定です。カラヴァッジョの気分を味わうには迷わず船なんですが。

<あの薄汚れたナヴォーナ広場の石畳
昔ローマへ行った時は、スリや物乞いのジプシーなどもいたる所にいて、ロレートの聖母のあるサンタアゴスティーノへ行く途中に通ったナヴォーナ広場周辺も確かに薄汚れていました。それが3年前の時はローマもすっかり綺麗になり、危ない人も全くいなくて少し拍子抜けしました。これでは400年前にカラヴァッジョと悪い仲間達が剣を携えて走り回った雰囲気が味わえない!(ちょっとガッカリ)
でもナポリへ移動したら相変わらずの状態で、この旅行で唯一スリらしき人物にも遭遇しました。特に七つの慈悲の行いのある教会や近くのドゥオモ(ペルジーノの大祭壇画あり)の周辺(下町、スパッカナポリ)は期待通り?のカラヴァッジョが走り回っていた雰囲気そのままでした。
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出典は、若桑みどり氏「カラヴァッジョを追って」です ()
2017-04-03 22:09:23
むろさん様

コメントありがとうございます。

出典は、芸術新潮の1973年11月号、若桑みどり氏「カラヴァッジョを追って」です。 5ページからなる濃厚な記事から、旅行記風の記述箇所を抜粋して写したものです。

たいへん失礼いたしましたが、むろさんのカラヴァッジョ遍歴をお聞きできたのは望外の喜びでした。

私のカラヴァッジョ紀行は、ローマとナポリのみで、それも10年以上前のこと。ただ、両都市にある画家の作品は、壁画など一般に鑑賞の難易度が高い作品は除きますが、現時点ではひととおり見たことになっています(唯一訪問していないコルシーニ美術館の作品が昨年来日してくれたので)。また行きたいと願ってますが、400年前にカラヴァッジョが走り回っていた雰囲気を味わえそうな場所は、遠慮させてもらいます。

若桑氏の旅程について。マルタへはシラクーサから向かったのか、その交通手段は何か、マルタを出てシラクーサに戻ったのか、その交通手段は何か、など、細かい旅程が分からないところがある。そもそもどのくらいの会期だったのかも不明。まあ、記事の主目的は、カラヴァッジョを語るなので、氏の旅程は二の次なのでしょうけれども。
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若桑みどり (むろさん)
2017-04-03 23:32:38
若桑先生の文章でしたか。なるほどという感じです。今週中ぐらいにお花見がてら芸大の図書館に行くので、その芸術新潮を読んでみます。

若桑先生とカラヴァッジョと言えば、美術出版社の世界の巨匠シリーズ(A.モアール著の翻訳)や小学館世界美術大全集のバロック1を思い出しますが、最近では一昨年大学院の聴講生として「カラヴァッジョとベルニーニ」のテーマで講義を聞いていた中で、旧姓山本みどり時代の論文(聖マタイの一連の絵の描かれた順番)のコピーを配布され、後に資料が発見されて順番が判明したらロンギを始め権威ある世界のカラヴァッジョ学者も若桑先生も、学者の研究は全て間違っていたという話を思い出します。この話の教訓は「画家は自分が過去に描いた様式は後で再現することができるので、現在残されている作品から様式発展を頭で考えても必ずしもその通りではない」(例えばエルミタージュのリュート弾きが評判だったので、後になって別の注文者が同じ絵をカラヴァッジョに注文し、それが今メトロポリタンにあるが、この2点の順番は様式比較では判定できない。資料が残されているので分かった。)ということです。これは美術史を学ぶ者が心に留めておかなくてはならない教訓の一つだと思っています。

私はある画家の作品が好きになると、(絵が残っていればという条件付きですが)ゆかりの土地を訪ねてみたくなる方です。今まで行ったのはフィリッポ・リッピを求めてプラートやスポレートへ行ったぐらいですが、カラヴァッジョを追ってシチリア、マルタへは是非行きたいと思っています。(生誕地や終焉の地は絵がないので多分行かないでしょうが。)この他ではクリベッリを追ってアスコリピチェーノなどアドリア海沿いの小さな町へも行きたいのですが、かなり交通の便は悪そうなので、どうなることか。

カラヴァッジョの展覧会情報として、9月のミラノはまだ新しい情報はありませんが、4月14日からローマのクイリナーレで「カラヴァッジョからベルニーニまで」という展覧会が始まるそうです。マドリード王宮から洗礼者聖ヨハネの首を持つサロメが出るとのこと。
http://www.coopculture.it/events.cfm?id=644
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