甲斐荘楠音の全貌
絵画、演劇、映画を越境する個性
2023年7月1日〜8月27日
東京ステーションギャラリー
甲斐荘楠音(1894-1978)。
1997年の京都国立近代美術館「大正日本画の異才一いきづく情念 甲斐庄楠音展」展や1999年の千葉市美術館「甲斐庄楠音と大正期の画家たち」展と回顧展が開催されているようだが、私は見ていない。
各種展覧会にて1〜数点を見て、女性像の強烈なあやしさが印象に残っているところであったが、2021年の東京国立近代美術館「あやしい絵展」で、前後期あわせて8点と、初めてまとまった数を見た。
「あやしい絵展」東京会場出品作品
《毛抜》
大正4年頃、京都国立近代美術館
《横櫛》
大正5年頃、京都国立近代美術館
《幻覚(踊る女)》
大正9年頃、京都国立近代美術館
《舞ふ》
大正10年、京都国立近代美術館
《春宵(花びら)》
大正10年頃、京都国立近代美術館
《裸婦》
大正10年頃、京都国立近代美術館
《母》
昭和2年、京都市美術館
《畜生塚》
大正4年頃、京都国立近代美術館
そして、本展は、待望の回顧展。
上記8点はすべて出品、さらなる大正期の作品も出品され、これで主要作品が全部ということはないとしても(出品作の多くが京都国立近代美術館の所蔵作品だが、同美術館以外の所蔵作品があまり存在しないということはないだろう)けれども、全容をほぼ見ることができると思われる。
【本展の構成】
序章 描く人
第1章 こだわる人
第2章 演じる人
第3章 越境する人
終章 数奇な人
甲斐荘の主要な絵画作品は、序章と終章でたっぷりと見せておいて、第1章はスケッチを中心にしてこだわりの探究心を、第2章は演劇への愛着を、第3章は時代劇映画を支えた衣装・風俗考証家としての甲斐荘を取り上げる。
私がもっぱら見たのは、序章と終章となる。
第1回国画創作協会展(国展)に出品し、岡本神草《口紅》と樗牛賞を競い合ったという《横櫛》を初めて見る。
《横櫛》
大正7年、広島県立美術館
《横櫛》は、2バージョン存在する。
1915(大正4)年、甲斐荘21歳のとき、東京の長兄の楠香を訪ねた際、兄嫁の彦子らともに、本郷座で、四代目沢村源之助が「切られお富」を演じる河竹黙阿弥作の歌舞伎「処女翫浮名横櫛(むすめごのみうきなのよこぐし)」を観る。その後、京都・南座でも観る。その前後、彦子が他界する。
翌1916年、「処女翫浮名横櫛」の印象をもとに、彦子をモデルとして《横櫛》を一週間で描き上げる。
京都国立近代美術館が所蔵する《横櫛》第1作である。
私的に初見となる広島県立美術館が所蔵する《横櫛》第2作は、村上華岳の勧めにより、第1回国展に出品した作品。
前述のとおり、岡本神草《口紅》と樗牛賞を競い合う。
村上華岳が推す甲斐荘の《横櫛》と、土田麦遷が推す岡本の《口紅》。
両者譲らず最終的には竹内栖鳳の裁定で、金田和郎の《水蜜桃》が受賞する。
これにより、甲斐荘は一躍注目を浴びることとなる。
この第2作は、その後甲斐荘自身の手により改変される。大規模な修正を行なったのは昭和38年頃のことらしい。
そのため、今の姿の第2作よりも第1作の方が、国展出品時の第2作の雰囲気を残していると言われている。
甲斐荘が「モナリザの微笑の片鱗が永い年月を得てこの絵に出たのだろうか」と語ったその女性の表情は、想像するしかない。
本展では、第1作と第2作が並べて展示される(ただし第2作は前期限りの出品)のみならず、国展出品時の第2作の「絵はがき」もすぐ近くに展示されていて、3つの図像を比べて見ることができるのは、想像するにはありがたい。
加えて、第2作の購入者(小林氏)が甲斐荘にあてた昭和44年の葉書も展示される。
小林氏が広島県立美術館に寄贈したばかりの頃だったようで、美術館所蔵台帳への登録状況とか、今後の展示見通しとかを伝えている。
なお、第1作は、1997年の回顧展準備中に遺族宅から発見されたという。《畜生塚》も同様であるらしく、未完成の状態の作品はそういうことになるのだろう。
今回初めて見た主な作品。
《秋心》
大正6年、京都国立近代美術館
手鏡を見る薄衣の女性。展示場所は制作時期的にちょっと早めだが、《横櫛》第2作の退場後の後期には、《横櫛》第1作の隣に展示されると思われる。
《白百合と女》
大正9年、個人蔵
白長襦袢姿の妊婦らしい女性と白百合。
レオナルドやミケランジェロへの関心が高かった甲斐荘は、ルネサンス期イタリアの「受胎告知」を参照したのだろうとされている。
《女人像》
大正9年頃、個人蔵
岸田劉生の肖像画を想起させるデロリとした作品。
本展ポスターにも使用されている。
《島原の女(京の女)》
大正9年、個人蔵
小さめサイズだが、デロリ色が濃厚な女性像。
《裸婦》
大正15年、京都国立近代美術館
明治の頃、裸婦像は洋画家がボチボチ描き始めたところで、誰も購入しようとは思わない、そんな頃、若年の日本画学生がひとりでモデルを雇う等はトンデモないことであった。来てくれる人は、背中に灸がある人とかや妊婦とか。主人が働かないので生活に苦しみ内密に小遣いをいう人に安く来てもらって描かせてもらった。甲斐荘はそんな旨回想しているとのこと。
《歌妓》
大正15年、個人蔵(京都国立近代美術館寄託)
六曲一隻の屏風画だが、第二扇に女性立像、第一扇・第三扇にその衣裳の裾がはみ出ているほかは、余白。国展出品作とのことだから完成作なのか。
《娘子》
昭和2年、京都国立近代美術館
写真をもとに描いたとのことで、その図版も掲示。写真からどこを変えたのかに注目させられる。
《春》
昭和4年、メトロポリタン美術館
大正期の画風からの脱却/脱メランコリックを目指していた頃の作品。
京都の個人が90年所蔵していたが、2019年にメトロポリタン美術館の収蔵となったという。
本展メインビジュアルを務める。
《籐椅子に凭れる女》
昭和6年頃、京都国立近代美術館
黒い薄衣に透けて見える脚/肌。下図スケッチも展示。
大正7年の国展の《横櫛》で一躍注目を浴びた甲斐荘。
しかし、国展の中心人物である土田麦僊との軋轢が発生。大正15年の国展に《女と風船》を出品しようとしたところ、「穢い絵」だと、陳列を拒絶される(同作品は現存せず、本展には絵はがきが展示)。
また、国展自体の解散、その後活動の場とした新樹社の自然消滅などが重なり、次第に画壇からは遠ざかる。
昭和16年頃から活動の場を映画に移し、溝口健二監督のもと衣装・風俗考証家として活躍する。
昭和31年の溝口の没後、再び絵筆を執るが、往年のように画壇で活躍することはなかった。
以上、本記事では、序章の作品および第1章の一部の作品の記載にとどまった。
おって続きを記載したい。
出品リストについて。
会場配布は、出品番号、作品/資料名、制作/発行年のみを記載した6頁の簡易版。
HP掲載は、加えて、材質/形状、寸法、所蔵先、初出展覧会を記載した11頁の詳細版。
なるほど、そういうやり方もあるのか。