東京駅開業百年記念
東京駅100年の記憶
2014年12月13日~15年3月1日
東京ステーションギャラリー
<章立て>
プロローグ 辰野金吾と東京駅
第1章 丸の内の100年
第2章 東京駅の100年
第3章 記憶の中の東京駅
エピローグ これからの100年
会場の最初に登場。
後藤慶二≪辰野金吾博士 作品集成絵図≫
1916年 辰野家蔵
辰野金吾に弟子たちが贈った1枚の絵画。辰野が設計した45の建物をあたかも1つの街にあるかのように描いている。
中央に大きく描かれるのは、日本銀行本店と東京帝国大学工科大学(現存せず)。東京駅丸の内駅舎は、最後方右手に霞みつつも、大変な横長の建物として描かれる。
印象的な絵である。
東京駅を中心とする丸の内地区のジオラマ3台。
写真撮影可能。
≪1914年の丸の内(ジオラマ)≫
東京駅開業時の丸の内。周りに何もない。当時は「三菱が原」と呼ばれた荒れ地。横浜美術館開業当時のみなとみらい地区がこんな感じ?
≪1964年の丸の内(ジオラマ)≫
建築物の高さが31Mに規制されていた時代(1920~1963)、丸の内には制限ぎりぎりの高さのビルが並ぶ。
≪2014年の丸の内(ジオラマ)≫
「大手町・丸の内・有楽町地区特例容積率適用区域」を活用し、JR東日本は、東京駅赤レンガ駅舎の残余容積率を周辺の複数のビルに移転し、駅舎の復元保全のための資金調達を行う。
その結果、丸の内のジオラマは、カオスのように見える。
確かに、東京駅周辺では今まで見たことがないような、メタボ系?のビルを見かける。
東京駅周辺の地下通路。写真撮影可能。
≪東京駅体 模型2014≫
東京駅を中心に、有楽町線有楽町駅から丸ノ内線大手町駅まで伸びる地下通路。植物の根。
東京駅にかかる絵画・版画、写真、文学、新聞記事等からなる第3章で、一番印象に残ったのは、次の新聞記事。
≪「サービスなど以ての外」内田“阿房駅長”東京駅員に訓示『読売新聞』夕刊≫
昭和27年10月15日付の社会面の右上に当該記事。
いやが応にも目に付くのが、中央の記事「駅長(御茶ノ水)夫人殴殺される」。長男が容疑者らしい。
その他、日本テレビの設立総会、日本シリーズ第4戦・南海対巨人、海上保安庁の測量船・第五海洋丸が海底噴火を観測中に消息を絶ったことにかかる調査委員会の報告など。
エピローグはこれからの100年と題しつつ、紹介されるのは2017年完成予定の≪東京駅丸の内駅前広場 模型≫。2年後の姿。言い訳はともかく、もう見えている姿。