東京でカラヴァッジョ 日記

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伊万里 ヨーロッパの宮殿を飾った日本磁器(サントリー美術館)

2014年02月23日 | 展覧会(日本美術)

IMARI/伊万里 ヨーロッパの宮殿を飾った日本磁器
2014年1月25日~3月16日
サントリー美術館


輸出用伊万里の、誕生から最盛期、衰退そして終焉までの約100年を辿る一大ドラマ。
そう聞くと、陶磁器はパスする私でも、興味が引かれる。
主演は、輸出用伊万里。
共演は、中国の磁器、ヨーロッパの王侯と磁器、そしてオランダ東インド会社。


1章:IMARI、世界へ【1660~1670年代】
 明・清王朝交代に伴う内乱と清の海禁政策により、中国の磁器輸出が激減。
 オランダ東インド会社は、有田に目をつける。
 有田は、オランダ東インド会社による厳しい品質基準の注文を受けてさらにその技術を高める。
 1659年から、本格的にヨーロッパに向けた伊万里の輸出を開始する。

2章:世界を魅了したIMARI-柿右衛門様式【1670~1690年代】
 伊万里のヨーロッパ輸出の最盛期。
 柿右衛門様式の色絵磁器が一世を風靡する。
 伊万里が本格的にヨーロッパの地に浸透し、全盛を誇る。

3章:欧州王侯貴族の愛した絢爛豪華-金襴手様式【1690~1730年代】
 柿右衛門様式に代わって登場した、金襴手様式を用いた大型の壺や瓶の注文が増え、室内装飾品としてヨーロッパの宮殿や邸宅を華やかに飾る。
 一方、中国では1684年に海禁政策が解かれ、中国磁器を再び輸出開始。
 伊万里のスタイルを模倣した製品が中国でもつくられ、伊万里は熾烈な競争を強いられる。

4章:輸出時代の終焉
 ヨーロッパへの輸出を再開した中国との競争。
 オランダがイギリスとのアジア貿易で敗れたことや、ヨーロッパ各地での磁器生産の発展も、大きく影響する。
 1757年、伊万里のヨーロッパへの公式な輸出は幕を閉じる。
 そしてオランダ東インド会社も1799年に解散する。


展示は、大阪市立東洋陶磁美術館所蔵作を柱に、サントリー美術館や佐賀県立九州陶磁文化館の所蔵作が補完する。

 輸出用伊万里がメイン。
 中国の伊万里のスタイルを模倣した製品「チャイニーズ・イマリ」や、ヨーロッパ(デルフト)の中国や伊万里を模した磁器なども展示される。

 磁器は興味の対象外である私。
 妙に東洋風の絵柄が隙間なく描かれた輸出用伊万里自体には、特段惹かれることはない。
 当時のヨーロッパの趣味に沿った注文制作であり、日本向けの製品とは全く別の製品なのだから、それは仕方がない。

 歴史の最盛期だから素晴らしい作品とか、終焉期だからレベルが劣ってきたとか、そういう関係性はなさそうである。
 例外が1章。いかにも中国を模倣しましたという感じが、誕生期であることを伺わせる。
 その時期には、注文生産だけでは需要がまかないきれず、日本国内向けの高級品も一部輸出されたとのこと。
 その国内向けの小皿が10点ほど展示されていたが、これがなかなかよかった。ゴテゴテとは異なる世界。


作品自体に見入るということはなくても、栄枯盛衰のドラマは非常に楽しめた。
しかし、ヨーロッパの宮殿の磁器の飾り方、写真パネルが掲示されていたが、ウルトラ・バロック。




色絵梅竹虎図菊形鉢(伊万里、柿右衛門様式)


東博の総合文化展にて撮影。
サントリー美展示の輸出用伊万里は、こんなあっさりとした絵柄ではない。もっとゴテゴテしたものばかり。

以下説明
ヨーロッパへの輸出用として確立した伊万里・柿右衛門様式の色絵磁器で、梅に竹と虎を描いた鉢は代表的な作例。
その人気の高さからマイセンをはじめとするヨーロッパの諸窯で写しが作られている。
36弁の菊花形となるこの鉢はこの種の中では大作である。



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