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駱駝、象、生人形 ー「見世物の精華」展(国立劇場伝統芸能情報館)

2021年04月24日 | 展覧会(日本美術)
見世物の精華
2021年2月6日〜5月26日
国立劇場伝統芸能情報館
 
   国立劇場は、2021年2月に、40年前後の長い時間をかけて収集してきた錦絵や絵番付などの見世物資料509点を収録した図版オールカラーの『国立劇場所蔵   見世物資料図録』を刊行。
   本展は、それにあわせて実物資料75点を紹介するもの。
 
【本展の構成】
1:見世物の場所ー両国、浅草、難波新地ほか
2:早竹虎吉の軽業
3:見世物と異国
4:からくり、大道具大仕掛
5:松本喜三郎の生人形
 
   特に私的に楽しんだ3章「見世物と異国」は、異国から持ち込まれて見世物となった動物や、開国後に外国の影響を受けた日本の見世物、世界を巡業した日本人一座、日本に巡業に来た西洋人一座などを取り上げる。
 
   ここでは、異国から持ち込まれて見世物となった動物を、会場内解説に基づき見る。
   ラクダとゾウの計5点である。
 
 
《駱駝之図(駱駝の見世物)》
文政7(1824)年、江戸・両国
初代国安画
   文政4(1821)年に、オランダ船により持ち込まれた雌雄2頭のヒトコブラクダ。出島に留め置かれたのちに、見世物となる。
   この錦絵は、文政7(1824)年に両国で見世物となった際に刊行されたもの。
   駱駝の周りの人物たちは、不思議な服装をしているが、彼らは日本人で、異国風の演出として「唐人」の格好をしているという趣向。
   この駱駝は、10年以上にわたって各地を見世物巡業したという。
 
 
《紅毛来船ハルシア国産  駱駝》
文政6(1823]年、大阪・難波新地
   前図(両国巡業)の1年前に長崎を離れた駱駝が、まず大坂・難波新地で見世物となっており、本作はその際の絵番付。
   左がヒトコブラクダではなく、フタコブラクダとなっている。つまり、間違っているわけだが、事前出版のため基本的に実物を見ることなく制作されたからである。
   
 
《太夫本・勢州松坂   酒楽家月亭(駱駝)》
慶応頃、梅国斎井石画
   開国後の文久2(1862)年に横浜に持ち込まれ、翌3年1月から両国で、同年3月から浅草で見世物となったフタコブラクダ1頭。さらに名古屋から近畿地方で巡業している。
   詳細不明だが、慶応3(1867)年2月に大坂・難波新地で見世物となったことが確認され、またその前後の時期の類似資料が近畿圏・徳島の範囲で存在していることから、この絵番付は、それらの範囲での興行時のものと推測されているとのこと。
  
 
《新渡舶来之大象》
文久3(1863)年、江戸・両国
芳豊画
   横浜の開港後は、ヒョウ、トラ、前図のフタコブラクダ、アジアゾウが数年のうちに次々とやってきて、すべて見世物となる。
   この錦絵の象は、文久2(1862)年2月に横浜に持ち込まれ、翌3年3月に両国で見世物となる。大人気となる。
   本図に描かれた人物は、「唐人」ではなく、リアルな外国人をモデルとしている(絵ではそうでも、現場の興行は、異国風の格好をした日本人が対応していたのだろうか)。
 
 
《太夫元・松坂   鳥屋熊吉(大象)》
江戸末期〜明治初期
   大人気となった前図の大象は、その後、ひとりの興行師の手に渡る。勢州松坂出身の鳥屋熊吉(通称:鳥熊)である。
   この大象は、松坂で慶応元(1865)年に見世物となっているが、鳥熊が関係している可能性がある。また、明治7(1874)年まで約10年間にわたり、鳥熊に連れられて各地を巡業したという。
   鳥熊は、動物見世物で最も成功した興行師と言われ、歌舞伎興行にも進出したほか、曲芸の海外興行にも関わっている。
 
 
   こういう絵を見ていると、見たいと親にせがむ子どもと、子どもにせがまれてお代の高さを思って困る親の姿を想像してしまう。
 
 
 
   他の章も興味深いのだが、ここでは2点を挙げる。
 
1章「見世物の場所ー両国、浅草、難波新地ほか」より。
 
《[両国の見世物]あらわし岩尾 丈六尺三寸(女力持)》
明和〜安永頃か、江戸・両国
清経画
   6尺3寸(約190cm)という堂々たる体格の女力持が舞台上で船を持ち上げる姿。
   初期浮世絵なのがまた味わいがある。
 
 
5章「松本喜三郎の生人形」より。
 
《当盛見立人形之内   粂の仙人(生人形 松本喜三郎)》
安政3(1856)年、江戸・浅草
国芳画
   布洗女の白い脛にまどって神通力を失い、落下する粂の仙人。
   この安政3(1856)年の浅草の見世物における松本の生人形のうち、女性の胸や肌を売りとした3つの人形が幕府から問題視される。
   この絵の白い脛の布洗女(絵では脛だけだが、実物はもっと肌を出していたのかも)、他の出品作の遊女黛、および、(忠臣蔵討ち入りに遭遇し狼狽して)ゆもじひとつで逃げまどう下女である。
   話題騒然の興行は一時停止する。結局、これら人形を撤去し、別の人形に展示替えすることで再開に至る。
   しかし、この見世物、女性の肌を売りとする生人形については、入場料とは別に、別料金(銭4銭)で遠眼鏡の貸与サービスがあったというから恐ろしい、ハマると大変な出費となる。
 
 
   本展は入場無料。休館日は3/11のみ、つまり今から閉幕までは無休。
   25人までの入場制限がある。



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