東京でカラヴァッジョ 日記

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ホクスンの銀製胡椒入れ-大英博物館展(東京都美術館)

2015年06月01日 | 展覧会(その他)

大英博物館展-100のモノが語る世界の歴史
2015年4月18日~6月28日
東京都美術館


048≪ホクスンの銀製胡椒入れ≫350-400年、イギリス・ホクスン、大英博物館蔵

『「貴婦人」が運ぶ高級品』
※この画像は、主催者の許可を得て撮影したものです。


 古代ローマの上流階級の食卓は、「胡椒尽くし」だった。
 どんな食べ物にも胡椒を加える。
 よく挙げられる例が「蜂蜜と胡椒のソース」。婦人病に効くといわれていたらしい。

 そんな胡椒はヨーロッパでは取れない。はるばる南アジアからやってくる。
 当然高価。
 同じ重量の金銀と同等だったという話も伝わっている。
 408年、東ゴード族がローマ市に攻め入った際、ローマ市は開放のため多額の賠償金を支払ったが、それは金、銀、絹、そして1トン強の胡椒であったという。ゴード族も、胡椒の価値を共有していたらしい。
 1世紀の博物学者プリニウスは、次のように書きのこしている。
「コショウの使用がこんなに流行するようになったのは異常である。それのよろこばしいただひとつの性質といえばそれがぴりっとすることであり、それを入手しようとしてわれわれははるばるインドまででかけて行くのだ。贅沢な食べ物にそれを加えてみたいなどと考え、食欲を高めたいということなら、ただ腹を空かせさえすればよいことなのに、それで満足しなかった最初の人物はいったい誰であったろうか?」
 この胡椒狂いは、後の大航海時代の原動力の一つとなる。

 さて、このモノは、410年頃、ローマによるブリテン島支配体制が崩れた際、ここを脱出した裕福なローマ人が埋めたものだと推測されている。
 1992年、つまりほんの20数年前に発見された、大量の財宝のなかのひとつ。
 銀製胡椒入れだけでも、この貴婦人のほかに、戦うヘラクレス、動物の形2つの計4つ。
 そのほか、スプーン、おたま、金のアクセサリー、金貨・銀貨。いずれも大量。
 金貨・銀貨では、407年に権力を掌握した皇帝の肖像がついているものが一番新しく、埋められた時期の推定根拠となっている。

 1992年に発見したのは、農家の人だった。
 彼は、紛失したハンマーを金属探知機を使って探していたところ、この財宝に出会う。
 なお、紛失したハンマーも見つかって、今ではそれも大英博物館のコレクションとなっているという。
 なんともすごい大英博物館。金属探知機はどうなのかな。


<参考>他の銀製胡椒入れといっしょに(wikidepiaより)。



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