東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

藤田嗣治と中村研一の戦争記録画を見る。

2016年12月08日 | 展覧会(日本美術)

生誕130年記念 藤田嗣治展
-東と西を結ぶ絵画-
2016年10月1日~12月11日
府中市美術館


所蔵作品展 MOMATコレクション
2016年11月22日〜17年2月12日
東京国立近代美術館

 

・府中市美術館で12/11まで開催中の「藤田嗣治展」を再訪する。


・前回同様、今回も戦争記録画3点に圧倒され、他の作品の印象は消え去ってしまった。


・3点の並ぶ様は、まるで 「三連祭壇画」のよう。

左翼《アッツ島玉砕》1943年
中央《ソロモン海域に於ける米兵の末路》1943年
右翼《サイパン島同胞臣節を全うす》1945年


・府中で観る3点は、東近美とは全く違って、人物も背景も非常にクリアに見える。暗い画面で詳細は見えない作品、背景が描かれていない作品だと思っていたが、実はこういう絵だったのか。新鮮な体験である。


・展示位置が高いこと、照明の違いによるものだろうか。3点全体を見渡せるだけの鑑賞スペースも確保されている。

 

 

・東近美の常設展では、現在、個人を特集した部屋をいくつか用意する企画を実施している。
   岸田劉生の部屋、秦テルヲの部屋、河原温の部屋、アメリカの写真家スティーグリッツの部屋。常設料金で観覧可の企画展「瑛九1935-1937」。
   もう一つが、中村研一の戦争記録画の部屋である。


・同部屋には、東近美が所蔵する中村研一の戦争記録画9点のうち6点が展示される(期間中、他の画家の戦争記録画の展示はない)。


・1895年生の中村研一は、当時40代後半。義父が海軍少将だったこともあり、積極的に戦争記録画の制作へと関わっていったらしい。


・以下、展示6作品。

《マレー沖海戦》1942年


《珊瑚海海戦》1943年


《北九州上空野辺軍曹機の体当りB29二機を撃墜す》1945年

 

《コタ・バル》1942年


《コタ・バルB》1944年


《タサファロング》1944年

 

・藤田の作品と中村の作品。傑作かどうかはともかく、力作であることは分かる。


・wikipediaには、『中村が描いたと確認できる戦争画は17点で、これは藤田の19点には及ばないもののトップクラスの点数であり、「戦争期に画業の一頂点をなした」とも言われている』とある。


・同じくwikipediaによると、中村は、『東京大空襲により代々木の住居とアトリエを焼失。戦後は、小金井市中町に転居し永住』。その住居は、今、「中村研一記念小金井市立はけの森美術館」となっている。



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。