東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

ルーベンス展(Bunkamuraザ・ミュージアム)

2013年03月20日 | 展覧会(西洋美術)

ルーベンス 栄光のアントワープ工房と原点のイタリア
2013年3月9日~4月21日
Bunkamuraザ・ミュージアム


本展は「日本におけるイタリア2013」企画と聞き、ルーベンスのイタリア滞在時代に焦点を当てた、何とも渋い企画だと思い込んだ。
ルーベンスのイタリア滞在は、1600年の23歳から1608年までの8年間。
この8年間は、カラヴァッジョが活躍した時代と合致する。


カラヴァッジョがサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会のコンタレッリ礼拝堂の壁画制作により、鮮烈な公式レビューを果たしたのが、1600年のこと。殺人を犯し、ローマを逃亡したのが1606年。以降、1607年マルタ島に渡り、1609年シチリアに移り、1610年にローマに向かう途中で死去。


カラヴァッジョのローマ時代の代表作。
1600年 聖マタイの召命/聖マタイの殉教(サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会)
1601年 聖パウロの回心/聖ペテロの磔刑(サンタ・マリア・デル・ポポロ教会)
1602年 聖マタイと天使(第2作)(サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会)
1603年頃 聖母の死(ルーブル美)
1604年頃 キリストの埋葬(ヴァチカン美)
1606年頃 ロレートの聖母(サンタゴスティーノ教会)
1606年頃 蛇の聖母(ボルゲーゼ美)


ローマ時代のルーベンスとの関わりは、宮下規久朗氏「カラヴァッジョへの旅(角川選書)」によると、2か所。

1:キリストの埋葬(ヴァチカン美)
本作は、オラトリオ会の総本山サンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ聖堂(キエーザ・ヌオーヴォ)のヴィットリーチェ礼拝堂のために制作。
同聖堂は、カラヴァッジョのほか、1606年にルーベンスに主祭壇画を依頼するなど、“新興の現代美術の大展示場”となった。主祭壇画とは、“ルーベンスのイタリアにおける最高傑作”「ヴァリチェッラの聖母」で、今もそこにあるらしい。
“この聖堂に設置されていたカラヴァッジョの傑作は、ナポレオンがフランスに持ち帰り、返還されてからも教会には戻らずにヴァチカン絵画館に収蔵され、当初の礼拝堂には模写がかかっている。”
本作は、“その古典主義的で完璧な構成のためにカラヴァッジョ作品のうちで早くからもっとも高く賞賛され”、多くの画家に模写されてきたが、その最初がルーベンス。模写は、オタワのカナダ国立美が所蔵する。


2:聖母の死(ルーブル美)
本作は、サンタ・マリア・デラ・スカラ聖堂の祭壇のために注文されたが、完成後に教会から受取りを拒否された。
しばらくは注文者が持っていたが、カラヴァッジョローマ逃亡後の1607年はじめに売り立てに出された。
“ルーベンスは、自分の仕えていたマントヴァのヴィンチェンツォ・ゴンガーザ公に購入させようとし、その代理人を熱心に説得した。代理人は、マントヴァに「ローマでもっとも有名な現代画家による最高傑作である」と書き送り、購入させたのだった。”
絵は、マントヴァのゴンガーザ公から、イギリスのチャールズ一世、フランスのルイ14世と移り、現在はルーブル美にある。


このような思いで向かったルーベンス展。


最初の自画像(ただし工房作)のあと、すぐに登場する

カスパール・ショッペの肖像(1604-5年頃)(パラティーナ美)
聖ドミティッラ(1606-7年頃)(アカデミア・カッラーラ美、ベルガモ)

のイタリア時代の2作品に見入る。


先の展開を期待して、次のコーナーに移ると、様相が変わる。
あれっ、なんか違うなあ、と改めて展覧会の題名を確認すると、「栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」。
そうか、メインはアントワープ工房で、イタリアはプラスアルファなのか・・。
とんでもない思い違いであった。


印象に残った作品は、
イタリア時代の2作品「カスパール・ショッペの肖像」、「聖ドミティッラ」のほかは、
・「兄フィリプス・ルーベンスの肖像」(1611年頃)(デトロイト美)は、若くして亡くなった兄の肖像画
・「ロムルスとレムスの発見」(1613年頃)(カピトリーナ美)は、大型作品。
・「復活のキリスト」(1616年頃)(パラティーナ美)も、大型作品。堂々たるキリスト。
・「三美神」(1623年頃)(パラティーナ美)は、グリザイユ。
・「毛皮をまとった婦人像」(1630年頃)(クィーンズランド美)は、ティツィアーノ作品の模写。

国立西洋美の「眠る二人の子供」(1613年頃)も活躍していた。


イタリアの美術館からの出品が多い。そこはさすが「日本におけるイタリア2013」企画。



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