所蔵企画展 又兵衛 山中常盤物語絵巻
2015年5月15日~6月17日
MOA美術館
山中常盤物語絵巻は、2012年3月のMOA美術館での全巻公開以来、2回目の鑑賞となる。
1巻約12.5m、全12巻150メートルに及ぶ絵巻物。
全12巻が展示されているが、展示室のスペースの都合なのか、加えて保存の都合もあるのだろうか、全ての巻が12.5メートル公開されるわけではない。
2012年と比較する。
<2012年>
12.5メートル公開:第1巻、第3巻、第9巻
実質12.5メートル公開:第10巻。
それ以外:5割から8割程度の公開
<2015年>
12.5メートル公開:第4巻(←特筆もの)
実質12.5メートル公開:第7巻、第8巻
それ以外:5割から7割程度の公開
2012年と比べて、公開面積が減っているように見える。
実際にそのとおりである。
2012年は、広目の展示室1と4+狭めの展示室3。
2015年は、展示室1と4。展示室3は別作品(洛中洛外図屏風)を展示。
確かなのは、2012年と2015年をあわせれば、100%かどうかはわからないが、ほとんどの場面が公開となっているということ。
巻の展示順を前後させるわけにはいかない、物理的スペースに制約はある、などの条件下、展示を工夫しているのだろうなあ。
山中常盤物語絵巻の有名な場面といえば、
◎牛若丸の母親である常盤と侍従が盗賊に殺害される場面を描く第4巻+第5巻の最初の4場面。
◎牛若丸が盗賊を刀で切り倒し復讐を果たす場面を描く、第9巻+第10巻の最初の4場面。
だと個人的には思う。
まずは、後者の牛若丸の復讐シーン。
2012年。
第9巻がフルオープン、第10巻がほぼフルオープン。
牛若丸の復讐シーンを堪能した。というか、盗賊の切り倒された姿のグロテスクさ、血が満載のシーンの連続に、逆に参ったものである。
「心臓の弱い方、お子様はご注意」の旨の案内があちらこちらにあった記憶がある。
2015年。
第9巻は控えめな2場面、つまり、最初に一人切り倒す場面の次の2場面=一人を切り倒す場面とその次に残り五人を切り倒す3場面の間に挟まれた2場面、のみの公開。
第10巻は5場面目から、つまり、最初の4場面=部屋に六人の死体が転がっている場面、の次の、死体を包み終えた後の藁をみんなで運んで淵に沈めている場面からの公開。
グロテスクさ、血が満載のシーンは相当カットされ、おとなしくなった。
「心臓の弱い方、お子様はご注意」の旨の案内は、今回見当たらなかった。
次に、前者の常盤が殺害されるシーン。
2012年。
第4巻は3場面、盗人が小袖を剥ぎ取る場面、常盤が「肌をかくす小袖を残すがなさけ、さもなくば命もとっていけ」と叫んでいる場面、盗人が常盤の胸元を刺す場面、の3場面に限定しての公開。
第5巻は最初の3場面、宿の主人と奥さんが瀕死の常盤を抱え、軒先には侍従が各場面とも概ね同じような姿で裸で血を流して転がっているというシュールな場面、を含む全体の7割程度が公開。
2015年。
第4巻は、フルオープン。盗賊の登場から、常盤を刺し、侍従を刺し、瀕死の二人を宿の主人が発見するまで、全ての場面の公開。常盤や侍従の流す血の描写がすごい。
一方、第5巻は、4場面目からの公開。つまり、シュールな最初の3場面は公開対象外。
2012年と2015年をあわせると、個人的に有名だと思う場面は、完全にカバーしている。
2015年は、第4巻のフルオープンは特筆もの。一方、グロテスクの度合いはずいぶん軽減されている。
それ以外の巻。
2012年に感心したのは、フルオープンの第3巻。
常盤と侍従が、奥州に向かって徒歩の旅を続ける場面。旅の苦労が伺える場面がこれでもかと続く。そして、最後の場面で常盤は重い病の床につく。
京を立ち、山中の宿で重い病の床についたわけだが、山中の宿は現在の岐阜県関ケ原町ということなので、この先の奥州までの距離を考えると、なんとも早い病の床と言わざるを得ない。
しかし、旅の苦労がうかがえる場面の連続は、重い病の床についてしまうのも仕方がない、と納得させられた。
2015年に感心したのは、ほぼフルオープンの第7巻と第8巻。
盗賊をおびき寄せるため、牛若丸が様々な変装をして、町中に触れまわる場面。次の巻から展開されるグロテスクな場面の連続の前段として、観賞者を油断させるためなのか、一般庶民の日常生活がたっぷりと描かれている。これらが、実に興味深い。
今回も、大満足した山中常盤物語絵巻鑑賞であった。
2013年に東京書籍から『岩佐又兵衛作品集-MOA美術館所蔵全作品』が出版され、2012年時から比べると作品に接するのも容易となった。
しかし実物の鑑賞ほど素敵なことはない。
MOA美術館には、次に「堀江物語絵巻」の全巻公開を期待したい。来年期待してもよいでしょうか?