東京でカラヴァッジョ 日記

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伊能忠敬の日本図(東京国立博物館・平成館1階企画展示室)

2014年07月05日 | 東博総合文化展

伊能忠敬の日本図
2014年6月24日~8月17日
東京国立博物館・平成館1階企画展示室


 伊能忠敬。学生時代の歴史の授業以来、思い出すこともなかった名前。
 「台北・故宮」展に沸く東博で、ひっそりと(館内の今日の見所案内板に掲示なし、見落としかもしれないが)、しかし対抗するかのように(平成館1階・考古展示室前の展示室で)、開催されている。

 実物が現存することすら知らなかった、歴史上の人物の手による日本地図を見ることができるとは。

 大変な迫力。美しい。特に東北図は、神々しさを感じるほど(←思い込み強)。

<展示作品>
全15点、うち伊能忠敬作の日本図は8点(全て重文)。
・日本沿海輿地図(中図) 東北
・日本沿海輿地図(中図) 関東
・日本沿海輿地図(中図) 中部・近畿
・日本沿海輿地図(中図) 中国・四国
・九州沿海図(小図)
・九州沿海図(中図)
・九州沿海図(大図) 第十
・九州沿海図(大図) 第二十

<忠敬の測量術>
 忠敬が日本全国を測量する際に採用した方法は、二点間の距離と方角を竿や縄とコンパスで精密に測ることを繰り返してゆく「導線法」と呼ばれるもので、当時の日本では普通に用いられていた。
 忠敬がより正確な地図を作ることができたのは、道中で遠くに見える山頂や岬などの目標物の方角を確認し、夜には北極星の高度など天体を観測して、測量の誤差を修正したからである。
 導線法に基づく測量の経路や、各地からの目標物を見通した結果は、図上に朱色の線として描かれており、その厖大な作業を物語っている。

<企画概要>
 伊能忠敬(1745~1818)は、佐原(千葉県香取市佐原)の商家の養子となってその経営に力を尽くしました。天文、地理、数学などの学問を好み、50歳で隠退すると江戸に出て幕府天文方の高橋至時に師事し、本格的に天文学や測量術を学びました。地球の緯度1度の正確な値を確定することを志し、1800年に、ほとんど独力で蝦夷地を測量しました。忠敬の測量事業と作成した地図は幕府の注目するところとなり、その後幕府の命を受けて、亡くなるまでのほとんどの期間を全国の測量に捧げました。その成果は日本全図である「大日本沿海輿地全図」として忠敬没後の1821年、幕府に提出されました。 
 伊能図は縮尺によって大図・中図・小図と分類されます。幕府に提出された図は明治時代に火災によって失われましたが、当館には伊能忠敬とその関係者がさまざまな機会に作成した各縮尺の良質な日本図が伝来しており、実際の伊能図を比べながら見ることができます。
 この特集では代表的な伊能図と忠敬以前の地図、江戸時代の測量に関連する書籍類などを紹介し、伊能図の緻密さ、美しさと江戸時代の地図の文化の一端を明らかにします。


 この写真では全くわからないが、細かくびっしりと書かれた文字、山・岬などから放射状に発信される朱色の線。素晴らしい。
 ミュージアムシアターで上映中の「伊能忠敬の日本図」も、後日見に行くつもり。



 



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