5ヶ月ぶりの関西プチ美術旅行、今回は秋晴れの奈良公園。
運慶仏を目当てに、興福寺に向かう。
興福寺国宝特別公開2019
南円堂・北円堂の同時開扉
2019年10月17日〜11月10日
興福寺
拝観券売り場の待ち列の前から3組目に並び、前方の重文・南円堂、後方の国宝・五重塔、右手の再建された中金堂を眺めながら、拝観開始時刻までの約30分を過ごす。
先に、国宝・北円堂。
国宝《弥勒如来坐像》
運慶作、1212年頃
国宝《無著菩薩立像》《世親菩薩立像》
運慶作、1212年頃
国宝《四天王立像》
791年
運慶「無著」「世親」を見た瞬間、小さい! 傷だらけ!と思う。ちょっと見すぼらしいとまで思う。
東博「運慶展」での印象、大きい!神々しい! との落差に戸惑う。東博のライティング技術に化かされていたのか。
それから50分近く、何周もする。内からにじみ出る精神性を感じる。傷だらけの姿もその傷が故に美しく感じる。そうなると既に、大きく、神々しく感じている。「日本肖像彫刻史上の最高傑作」と言われるのも納得。
今日は天蓋もよく見えますよ、との係りの人の声がけあり。
次に、重文・南円堂。
国宝《不空羂索観音菩薩坐像》
康慶作、1189年
国宝《四天王立像》
康慶作、1189年
国宝《法相六祖坐像》
康慶作、1189年
《不空羂索観音菩薩坐像》のデカさ。《法相六祖坐像》の老年・壮年・若年の変化を持たせたその表情。10分強の滞在。北円堂と比べて随分短いのは、時間調整もあるが、北円堂と異なり土足厳禁、足の冷たさに長居は無理と判断したため。
残り時間の行き先は、興福寺国宝館も考えたが、秋晴れに誘われ、正倉院展の入場待ち行列の見学経由東大寺南大門辺りまで、鹿と戯れる観光客を見ながらの散歩を選択する。
正倉院展の入場待ち行列はさすがの長さ。しかし待ち時間表示は15分と見かけほどの数字ではないのは意外。屋外の個人専用観覧券売り場にはほとんど人がいない。衝動的に初訪問を決断、東博パスポート提示で100円割引で観覧券を購入する。
第71回正倉院展
2019年10月26日〜11月14日
奈良国立博物館
列に並ぶと意外にも進む。立ち止まる時間があまりない。何度か折り返して15分強で入場。
出陳は41件、大勢の人がいる展示室を、列をなす壁面ガラスケース展示品は適宜パスしつつ、約45分で2周する急ぎ鑑賞。
印象に残る2件。
《鳥毛立女屏風(鳥毛貼りの屏風)》6扇
「天平美人」。顔や手、着衣の袖口などに残る1300年前の彩色。着衣や樹木などには日本産のヤマドリの羽毛が貼り付けられていたらしい。6扇揃っての出陳は20年ぶりとのことだが、2014年には4扇が正倉院展に、2扇(第1と第3)が東博の日本国宝展に出陳されている。
《金銀花盤 (花形の脚付き皿)》
観覧券にある六花形の銀製の皿。宝庫伝来の盤の中では最も大きいという。鹿が大きく中央に表される。奈良らしいなあと単純に思うが、実は中国・唐代の工芸品にしばしば登場するモチーフで、本品も中国製であるらしい。
以上で、関西プチ美術旅行は終了。
短時間だが、天気に恵まれて楽しいひととき。
東博「正倉院の世界」展の後期展示を時間を取って見に行こう。綺麗、よく遺ったねえ、止まりの感想となるだろうけど。
南円堂本尊は運慶快慶周辺の主要作品で見ていなかった唯一の像で、いつかは見たいと思っていたのですが、年に1日しか開帳しないので機会がありませんでした。私は朝から南円堂に入り2時間近くその雰囲気を堪能しました。北円堂は40年以上前に入ったことがあるので、今回は1時間程度(Kさんとは逆です)。南円堂は江戸時代の再建ですが、創建当初と変わらないと考えられ、また法相六祖と南円堂本来の四天王が全て揃っての初めての公開ということで、広くてゆったりとした建物ということもあり、理想的な空間だと思いました。興福寺内でこのような場所は南円堂だけです。北円堂は建物は鎌倉時代ですが、鎌倉時代当初の像は3体だけ、中金堂は立派に再建されましたが、像は他の堂からの寄せ集めです(薬王・薬上菩薩は西金堂から、四天王は多分北円堂から)。
耳や手などの細部の表現に作家の個性が出るというモレリの鑑識方法(ルネサンス絵画の鑑定法)を快慶作品の耳に適用することがよく行われますが、私も鎌倉時代の仏像を見る時は耳に注目しています。弥勒仏・無著・世親は(総監督としての)運慶作ですが、弥勒仏の台座銘によれば実際の担当仏師は弥勒仏が源慶(運慶一門の古参仏師)、無著・世親が運慶の五男六男である運助・運賀です。北円堂本尊弥勒仏は東博運慶展に出なかったので、今回は源慶作の吉野如意輪寺蔵王権現の写真を準備して、特に耳の比較をしていました。無著・世親と旧南円堂四天王に運慶の息子6人の個性を見いだせるかは難しい問題ですが、弥勒仏には源慶の「手」が感じられると思います。また、東博運慶展では旧南円堂四天王を無著世親像の周囲に並べて違和感がないかどうか、最近の学説を検証しようということが行われましたが、今回久し振りに北円堂に入るのに当たり、今ある(大安寺伝来の)平安初期の四天王を今回中金堂へ移った旧南円堂四天王に置き換えたらどうなるか、狭すぎないかという観点でも眺めていました。弥勒仏脇侍の大妙相・法苑林の台座は鎌倉時代当初のものなので、無著・世親も大妙相・法苑林も現位置からほとんど移動させずに四天王だけ入れ替えるということです。コンピュータ上のシミュレーションでは十分可能であり、壮観な眺めになるだろうとのことですが、やはりかなり窮屈になるのではないかというのが正直な感想です。
仮金堂(以前の中金堂)にあった四天王が本来の南円堂四天王であるという説が提唱されてから30年ぐらい経過し、やっと南円堂は本来の形に戻ったのですが、北円堂もそのようになるかというと、現状では困難だと思っています。旧南円堂四天王が本来の北円堂四天王であるという説は最近では多くの研究者が認めるようになってきましたが、お寺側が仏像の配置をどうするかは学問的に正しいかどうかよりも、宗教上の場として何が相応しいのかということで決まると思われます。再建された大きな中金堂に相応しい大きくて立派な四天王ということになると、今北円堂にある平安初期の等身大以下の四天王では小さ過ぎるでしょう。このように南円堂、北円堂、仮金堂で四天王が玉突きのように入れ替わってしまったのも室町時代か江戸時代に同じような事情があったからだと思います。運慶研究で知られる某研究者もツイッターでそのような主旨のことを書かれていました。
コメントありがとうございます。
充実した旅行であられたようで、なによりです。
南円堂は年1日の開帳であることは配布のリーフレットで知りましたが、改めて考えると極めて貴重な機会だったのですね、足の冷たさに負けず、もう少し雰囲気を味わっておけばよかったか。「法相六祖と南円堂本来の四天王が全て揃っての初めての公開」とは知らずに、漠然と見てました。
北円堂の四天王像は、場に比べるとえらく小さいとの印象がありましたが、なるほど、いろいろな事情があるのですね、教えていただきありがとうございます。