東京でカラヴァッジョ 日記

美術館訪問や書籍など

《聖エリザベートの日の洪水》1421年11月・オランダ

2020年11月18日 | 西洋美術・各国美術
 
「世界は神が造った。しかしオランダはオランダ人が作った。」
 
   オランダは、その国土の四分の一が海抜ゼロメートル以下。
   オランダの人々の歴史は、水災害との戦いの歴史でもあった。
   堤防の建設。ポルダーと呼ばれる干拓地の造成。オランダのシンボル・風車は、元々は干拓地から排水するために作られたものである。
 
 
聖エリザベートのパネルの画家
《聖エリザベートの日の洪水》
1490-95年頃、127.5×110.5cm
アムステルダム国立美術館
 
   1421年11月18日の深夜から19日未明にかけて、北海沿岸の激しい嵐の影響により、海面が上昇。潮受堤防が複数場所で決壊する。水が低地の干拓地を襲う。オランダの多くの村が洪水に飲み込まれる。死者は2,000人から10,000人。ハンガリーの聖エリザベートの祝祭日(11月19日)の出来事であったので、「聖エリザベートの洪水」と呼ばれる。
   洪水に見舞われた地域の大部分は、その後数十年間、干拓されるまで浸水したままであった。
 
 
   聖エリザベートの日の洪水から約70年後、本祭壇画が制作される。
 
   画面に、多くの人々、そして家畜が描かれている。その素朴な画風もあって、のんびりとした都市農村風景かと思う。が、人々はボートに乗っている、あるいは家財道具も一緒にボートに乗り込もうとしている。
 
   右の画面の右上端を見ると、既に堤防が壊れ、水が勢いよく陸地に流れ込んでいる。
   右の画面の左下端を見ると、一人の男と一頭の家畜が水に飲まれている。
   画面の人々が無事であったことを祈るしかない。
 
(壊れた堤防、勢いよく流れる水)
 
(水に飲まれた男と家畜)
 
 
 
   祭壇画の舞台は、現、南ホラント州の街ドルトレヒト。ドルトレヒト地域は、23の村の水没、死者2,000人など大打撃を受けた。右画面は堤防の決壊を、左画面は被害の及んでいない街ドルトレヒトを表している。
 
(大被害を受けたドルトレヒト地域)
 
(被害の及んでいない街ドルトレヒト)
 
 
 
聖エリザベート
   1207年、ハンガリー王の娘として生まれる。1221年14歳のとき、7歳年上のドイツ中部のテューリンゲン方伯と結婚する。夫の支援も受け慈善事業に勤める。1227年20歳のとき、十字軍に参加した夫が聖地に向かう途中イタリアで病死する。夫の兄弟により3人の子供とともに追放され、極貧生活を送るが、その後、十字軍推進者である修道院会士の尽力により、寡婦産として金と領地を受け取る。その領地に療養院を建て、自らも奉仕する。1231年、24歳で死去。1235年、列聖。
 
 
(当初掲載)2019年2月、(更新)2020年11月


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。