東京でカラヴァッジョ 日記

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久米民十郎《支那の踊り》を観る - 「100年前の未来:移動するモダニズム 1920-1930」(神奈川県立近代美術館 葉山)

2023年12月26日 | 展覧会(日本美術)
100年前の未来:移動するモダニズム 1920-1930
2023年10月7日〜2024年1月28日
神奈川県立近代美術館 葉山
 
 葉山館の開館20周年を記念して、当館が館名に掲げる「近代(モダン)」の文化が多様に展開した20世紀の20年代を再考します。
 1917年のロシア革命と1918年終結の第1次世界大戦により国際的な移動と伝播の時代が到来し、スペイン風邪によるパンデミック後の世界で、芸術家たちは国境を越えて活動しました。
 中村彝と鶴田吾郎が描いたエスペランティストの詩人ヴァシリー・エロシェンコの肖像を筆頭に、夭折画家・久米民十郎、土田麦僊や前田寛治、藤田嗣治などの滞欧・滞米作品、石本喜久治らが招来したドイツ新興美術、MAVOや三科など1923年の関東大震災とその復興を挟んで都会に展開した前衛諸派、シュルレアリスムの端緒から魯迅の木版画運動まで、大正から昭和へと移る100年前の世界が夢みた新しさの諸相を紹介します。
 
【本展の構成】
1 ふたつのエロシェンコ像から - 東欧、ロシア、日本
2 タミの夢 - ロンドン、ニューヨーク、パリ、横浜
3 モダニズムのパノラマ - フランス、アメリカの滞在画家たち
4 日独文化往来 - ベルリン、デュッセルドルフ、東京
5 モダン/カタストロフ - MAVOから始まる都市と造形
6 上海1931  - 魯迅と「木刻運動」
 
 
 
 お目当ては、久米民十郎の《支那の踊り》(永青文庫蔵)。
 2014年のブリヂストン美術館「描かれたチャイナドレス」展で印象に残っていたもの。
 
 久米民十郎(1893~1923)。  
 
   1914年、学習院中等科を卒業し、ロンドンに渡る。1918年帰国。1920年に帝国ホテルで初個展、《支那の踊り》を出品し、巫女を使って描く「霊媒画」と新聞で紹介される。1921年再渡欧、1923年4月帰国。
   再々渡欧を翌日に控えた9月1日、横浜のオリエンタル・パレス・ホテルに滞在中、関東大震災が発生。石造・煉瓦作りの洋館であった同ホテルは一瞬にして倒壊、内部にいたものは逃げる間もなく圧死したという。
 
 残された作品は少なく、神奈川県立近代美術館に12点がまとまって所蔵されているのが目立つ程度だという。
 
 その神奈川県立近代美術館にて、1999年以来となる久米民十郎の特集展示を行う、《支那の踊り》も出品されると知って、訪問。
 
 本展の2章「タミの夢 - ロンドン、ニューヨーク、パリ、横浜」が、久米の特集展示。
 《支那の踊り》を9年ぶりに見る。身体表現に魅入る。
 
 
 他にも《支那の踊り》風の作品を期待していたが、展示されている10数点の作品のなかには見当たらない。それっぽい作品の絵葉書の展示はあるので、かつてあったとしても、現存しないということらしい。「タミの夢」の跡は、断片が残っているのみであるようだ。
 
 
 
 他に特に見た作品。
 
 
萬鉄五郎(1885-1927)
《裸婦》
1918年、神奈川県立近代美術館
 
 本作は、東京国立近代美術館所蔵のキュビスム的作品《もたれて立つ人》の翌年の制作。
 「キュビスム」的というより、その前の「プリミティヴィスム」的といったほうがよいのだろう、組み立て人形のような裸婦。妙に長い手を含め、その組み立てに魅入る。
 
 
中村彝(1887-1924)
《エロシェンコ氏の像》
1920年、東京国立近代美術館
 
鶴田吾郎(1890-1969)
《盲目のエロシェンコ》
1920年、株式会社中村屋
 
 鶴田がたまたま目白駅で一人立っているエロシェンコを見かけてモデルを頼む。当時借家住まいで画室のなかった鶴田が中村にこの話をすると、彼も描きたいというので、9月6日から中村の画室で二人並んで描きだした。8日間午後いっぱい描き続け、もう1日やりたいという中村を鶴田はとどめて筆をおかせたが、その晩から中村はひどい発熱と下痢に見舞われ再び病床についた。
 中村の重文作品(画像は所蔵館にて撮影)は12/14までの展示。2点が並ぶのを意図せず滑り込みで見ることができたのは幸運。
 
 
石垣栄太郎(1893-1958)
《街》
1925年、神奈川県立近代美術館
 
 15歳の時、父親に呼び寄せられて、中学を中退し、出稼ぎのためアメリカに渡った石垣。数々の職を転々としながら、美術学校で学び、画家としての活動を始める。
 1920年代には当時の生活・風俗などを描くソシアル・シーンの画家として認められるようになる。大恐慌後の1930年代からは、失業、人種差別といったアメリカの抱える問題をテーマに制作する。日中戦争や太平洋戦争が勃発してからは、反戦や反ファシズムを訴える作品を数多く手がける(日米開戦にともない敵性外国人として規制を受けている)。
 1951年、共産主義活動の嫌疑で逮捕されるが、国外退去を条件に釈放され、日本に帰国。三鷹市に居を構えるが、体調がすぐれず、本格的制作はできなかった。
 首都圏でも回顧展を開催してくれないだろうか。
 
 
徳永柳洲(1871-1936)
《横浜の全滅》
《本郷元町より見たるお茶の水附近》
《酒匂川上空の飛行機》
1923年、東京都復興記念館
 
 徳永柳洲の関東大震災絵画(画像は所蔵館にて撮影)が来ているのに驚き。3点。東京都復興記念館の特殊な展示環境とは異なって、美術館において絵画作品として普通に展示されているのが新鮮。芸術というより、特別な目的を持った作品(資料)なのだと思う。
 本展では、関東大震災の記録映像も展示(上映)されていて、映像と絵画の違いを考えさせられる。
 
 
古賀春江(1895-1933)
《窓外の化粧》
1930年、神奈川県立近代美術館
 西洋現代美術の影響をもろに受け過ぎ、画風が変わり過ぎ、との印象もあるが、私的に好みの画家。東京国立近代美術館《海》と本作が双璧であり、久々の鑑賞を楽しむ。
 
 
 
 2003年に開館した葉山館は、今年2023年が20周年記念の年。ということで、過去に葉山館で開催された展覧会のポスターが掲示されている。
 眺めていて、今回の葉山館訪問が10年ぶり5度目であることを知る。
 過去4度は、2006年「パウラ・モーダーゾーン=ベッカー」展、2010年「古賀春江の全貌」展、2013年「レーピン展」、2013年「戦争/美術1940-50」展。
 葉山館は遠く、同じ展覧会が東京にも巡回するのならそちらを待つので、5度目はそんなものかと思うが、10年ぶりには驚く。そんなに久々の感じは全くなかった。その10年間、見逃した企画展が結構あるなあ。


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