天気も良くないということで嫁とリブールに久しぶりに行ってきた。
平日の昼間で人数は少なかったのだが、久しぶりに行ったら結構な人が来るようになっていたね。
旅行以来のんびりしていなかったが久しぶりに満喫した。
今夜は生麦教室、天気も良くなったので相撲が終わってから自転車で行ってくるかね。
もう一つ那覇手と首里手の大きな違いの立ち方に、猫足立ちと浮足立ちがあるが今では猫足立ちが一般的だが、それ以前から伝わる首里手では足のかかとを少し浮かせるから浮足立ちと呼んで伝わっている。昔の人は、空手がこれほど世界に広まるなんて夢にも思っていなかったのだろう、だから言い伝えも適当に行っていたような節も時々見られるが、それらを沖縄から本土にわたって普及する先生方がそれぞれに考案されたのだろうと思っている。
私は九州の宮崎県で55年前に空手を習いそのころはフルコンタクトや松濤館流も登場していないころで沖縄空手の名残がずいぶん残っているころの空手である。
ただ50年ほど前に鶴見で近所の小林流の看板を掲げていた先生の型は同じ呼び名でも若干違うところがあったが、これはそれぞれに覚えればいいと思っていた。
私も現に稽古体制はボクシングの経験を生かしたものを取り入れたり現代にあうように工夫などをしているが、型はそのままの方がいいと思っている。
ただ形試合では現代の流れに沿った型もあっていいと思ってその道に詳しい人にお願いもしたりしている。
私の代の上杉会館は今のままだが、次の世代の人はそれぞれの考えのもとにまた新しい空手をやっていくのもいいかと思っている。
久々なので何度目の質問か、忘れた。また質問ではないが疑問に思うことと思われるので思ったときに書いてみる。
沖縄の空手は、明治時代に那覇手が導入されるまでは単に「手」と呼ばれてのちに「首里手」と呼ばれる空手のみだったらしい。
その空手も一部の人のみに口伝で伝わったので普及もしていなかったようだが明治維新によって大きく進歩したと聞いている。
また那覇手が普及するにつれサンチン立ちなどの名称が広まったがもともとピンアンの形に足幅が一歩広い「波足立ち」というたち方があり、ほかの文献で「並足立ち」というのを見かけたがおそらくさざ波のような運足を取るので、また「波返し」の名所も見られるので波足の方だと思う。
足が一歩ずれるのは同じだが首里手では騎馬立ちの歩幅を一歩前に取る。横幅は肩幅に足の先の方が来るのに対してサンチン立ちはかかとが来て狭く取り呼吸法を使うのが特徴である。フルコンタクトの空手ブーム以来このようなたち方はうやむやになっているようでまたこだわる流派も少ないが、私どもでは伝承としてこだわっている。
昼頃には曇りになるような予報だが、まだ相変わらず降っている。
寒い日中となりそうでワンコウの服装も冬の上着を着せた。
勤め人も寒い中での出勤だね、大変だろうが若い頃は行くのが仕事で休むわけにはいかないから黙々と家を出ていたね。
11月も後半だ、元気に行くか。