夕方の6時を回ったばかりだというのにすでに暗くなっている・まだこれから日が短くなっていくのか・・冬至まで約一か月だ。
今夜は蒲田教室、来週と再来週は学校行事のため休みになるので、今日を休むとしばらく稽古から遠ざかる。馬込教室はやっているのでそちらに参加するといいのだが今の蒲田教室にはそこまでの人はいない、その逆はいて今夜も馬込教室からの参加者はいるだろう。
ま、それでも長いことやめずに続いている、それなりの意識は持っているのだろねぇ。
個人のペースもあるので押し付けるのはやめて自分のペースでやるのもいいかね。
相撲が終わってから出かけるか。
私が50年ほど前になるであろうか、ボクシングをあきらめて空手道場を探したときに鶴見市場の国道沿いに小林流空手の看板を見つけて入会したのがそこの先生が新川二郎という先生で、小林流の開祖知花朝信先生の直弟子であったそうだが、途中泊手の金城先生にも教えを乞いに通ったそうだと聞いていた。
私が習った、セーサンやワンスーなどは泊手だというのを聞いている。
泊手は詳しくは知らないが、那覇手、首里手を習った人たちが始めた流派くらいしか知らない。その関係で新川先生は小林流の跡継ぎから外れ弟弟子の仲里周五郎先生が小林流を継いだという話を聞いた覚えがある。新川先生の兄弟子にあたる小林流の大家,比嘉佑直先生から免状をいただいていたのを覚えている。
その後泊手の空真流に自分の新を当てて空新流と名乗っていた時期が私の空手着の胸文字に写真となって残っている。
しかし、その先生も何年もしないうちに沖縄に帰られ道場は閉鎖となり、私は相模原の小学校で教えていた兄弟子の徳里先生のもとで指導に行ったりしていた。
そのころは蒲田に住んでおり、東神奈川から横浜線に乗り換えて相模原まで月に、1,2回ほどだったが指導を兼ねていっていたね。
そのころの横浜線は冬は隙間風が入ってのどかで本数も少なく、ホームの端で詩吟をうなったりスワットをやったりして時間をつぶしていた。この時の模様がユーチューブの館長青春時代、に収められている。
首里手の稽古にボクシング時代のテクニックやフットワークを取り入れて上杉会としたのが始まりだが、基本と型は小林流を引き継いでいるが流派はさすがに遠慮して上杉会館として活動しているのである。
私が九州宮崎県の延岡商業高校空手部で空手を習い始めた55年くらい前は、沖縄の空手で流れが剛柔流、小林流、糸東流を少し聞いたくらいで、中央で活躍していた松濤館、極真空手、和道会などは聞いたことがあるくらいの知名度であった。もちろんそのころは空手の稽古に明け暮れていてキックボクサーを夢見ていたころなので他の空手に興味がなかったのだろう。
こちらに上京してからいろいろ勉強をしていくうちに那覇手と私どもの首里手の違いなどを学んでいったが、基本もずいぶん違うものだと思った。田舎で兄が剛柔流をやっていた関係で型や基本の違いは知っていたが同じ沖縄空手、大した違いではないと思っていた。
勉強していくとずいぶんな違いがある。
まず立ち方だが、騎馬立ちとサンチン立ちのスタンスが違う。基本の引き手は胸に取る那覇手と引き手を腰に取る首里手。受けも内側から直線的に軌道を取る剛柔流と、腕を大きく前方から回しててこの原理を取る少林流の外受けとの呼び名の違い。
腕を直線的に作用する手刀受けと、上から半円を描くように持ってくる軌道の違い、蹴りは交互に蹴って腰の入りが少ない力の那覇手に対して、足を一歩引いて大きくためを作って一撃必倒の精神で蹴りこむ正面蹴り、と呼んでいた。横蹴りも一本一本軸足を返しながら・・・回し蹴りもそうである、キックボクシングのように軸足をひねって上足底で蹴りこみ、蹴った足を戻すという動作など随所に違いがみられたが今ではそこまで言う流派は少ないのではないかね。
私も今はそこまでの指導はしていない。
中国の草原で馬に乗りながらの民族から伝わった首里手は構えも大きく足を広げ飛び込んで動きなどが見られたが、中国の港町から発生し大柄の人が学ぶ南拳は船頭が多くて狭い船内での戦いにのために動きが小さくても力で倒したという流れの関係で大きく違ってきたと聞いている。
泊手になると、また次の機会にしよう。
寒くもない朝のようで気持ちよく出てきた。
今日は週末の給料日だね、駅界隈もにぎわうだろう。
全国大会が間近に迫って何かと落ち着かない日々だが、それが終わると正月気分になる。
今回の大会の出場者は5月に行われた神奈川県大会と同じくらいでジュニアの形試合がないので午前中は早く終了するだろう。
一般男子も形、組手とも昨年よりかは少ない。順調に進行するものと思われる。
2コートで久しぶりに行う予定だ。
今年も関東各県が中心だが広島県などからの参加者もいる。
ユーチューブ配信やライブ配信などの試みもあるようでそれに見合うような熱戦を期待している。
最高顧問の坪山先生が今年の夏に亡くなったが、今回は昨年同様の扱いで各所に名前も見られる。一緒に拝見したいものだ。
コロナだけはいつ感染するかもしれないが十分に気を付けていきたいものである。