3年目の3月11日を迎えました。
3年前の今日の事は今でも鮮明に覚えています・・・
1度目の揺れが収まり、自宅に飛んで帰って庭に出てた、妻と母の
無事を確認。その直後に2度目の揺れが・・・庭の真ん中で2人を
抱きかかえしゃがみ込む。経験したことのない強い揺れが、いつまで
も続きます。ふと顔を上げると木造の母屋が、捻じれるように揺れて
います。大袈裟ではなくこの世の終わりか・・・と思いました。
「ボブが中にいる!」家の中に戻ろうとする妻を制して庭の真ん中で
ひたすら揺れが収まるのを待っている時間が、とても長く感じられ
ました。
思えばもう、その頃ボブは、自分で動けなかったんですね・・・
すぐに停電してしまったため、翌日まで東北を襲った悲惨な状況を
知らずにおりました。そして、この旭市にも津波が・・・沿岸部は壊滅
的な被害を受け、残念ながら犠牲になられた方もいらっしゃいました。
そして私自身も、この震災によって身辺の状況が、大きく変わってしま
いました。それでも怪我もせず、家族も無事でいられた事に感謝しな
ければいけませんね。
3年経った今日でも、旭市内でも仮設住宅にお住まいの方がいらっ
しゃいます。
私個人的には、今でも東京オリンピックの誘致は無用と思って
おります。
「福島の復興なくして、日本の復興はありません」
などと、首相は言いますが、言葉だけでなく目に見える形で、東北を
はじめとする、あの震災で被った被災地の再生・復興をなしとげる事
にこそ、日本の国力の全てをかけるべきだと思います。
14時46分・・・防災無線からサイレンが鳴りました。
犠牲になられた方々のご冥福と、一日も早い復興を願い、
ペットメモリアルあさひにお参りにいらしていた方とご一緒に、黙とうを
捧げました。