ネガティブと共に生きれなかった

私の『近所の老人の弔問を断ったホームページURLを載せている紹介ブログ』です。後日談や補足的説明なものを綴っていきます。

まだブログ記事を楽しみにして下さる人がいるのでしょうか

2024-12-30 20:04:44 | 私のHP

こんばんは、ゆみつぐです。

もうあと一日で今年も終わりですね。

寒い日が続きますが、皆さんお元気でしょうか?

今月初めに、敗北宣言(私的には"のようなもの”ですが)を書いてからの初投稿です。

今読んで頂いている方からしたら、私の犬の遠吠え的記事にしか見えないでしょうが、特に何もないけれど今月17日のことを書いておきます。(実は当日から書き始めていましたが、書き上げたのが今日になりました)

私の休みの17日の午前、家を出たら、近所オバサンが自分の家の前を箒で履いていたのですが、私に「今からお出掛け?」と聞いた後、自分の家の前で何本も咲く濃い赤色の花をくれると言うので、断りました。もらえば、また近所の誰かにあげたことを報告するに決まっているのが分かっています(この人の『気に掛けてあげているアピールのいための行動』。自分が用がない限りはこちらすら向かない。)

いつもの私は断りの言葉は、この近所オバサンでも年上と言うことで『ありがとうございます』ですが、ここの日は『ありがとう』でした。というかこの人には『ありがとう』でいいかと思っています。もう関わる秒数も言葉数も減らしたいので。何なら『いいです』だけでも良いものですが。

実は先々週、この近所オバサンの家前路上駐車が午後3時ごろくらいから始まった日が2日ほどありました。(29日もそう)

私的にはここの家の人達は、『いつもいつも頻繁に夜、車を家の前に置くから、陽の明るいうちは家前路上駐車はなるべく控えているのかな』っとずっと気を使っているものと思っていました。明るい時間帯に確かに何時間も置くことはなかったからです。おいてもせいぜい二時間くらい。(私も常にこの人にネガティブな感情を抱くようにはしていませんよ。)

でも先週の二日間(29日もそう)は、明らかに『平気で』夜まで路上駐車をしていました。

これを見て一番嫌な気持ちになったのが、『こんな人に良心があると思い込んでいた自分』『この人に常識を期待していた私』に対してでした。まず自分にムカついています。そして近所オバサン家族にもです。期待していた自分がバカでした。絶えず自分のことしか考えていないこの人達に何を私は期待していたというのか。

実は、私も発表(投稿)するかどうかは別にして、これまでの路上駐車についてまとめて書き上がている最中でもあったので、この昼間から路上駐車の事実は、まさに私の気持ちに火に油を注がれた行為でした。『こいつらはとうとう午後も平気で置くようになったことと、無神経な人達であるこが確定したことも少し』書き加えなければいけなくなりまして。

この二日間の(29日もそう)路駐は、もう『自分勝手な連中』というレッテルをこの人達に貼るのに躊躇はしなくなる行為ではあったものの、あまりにも『いかにも』過ぎて、呆れています。『路駐をする人はとことん図々しい』のがわかりやすく体現してくれたものだと。

他の話題で先々週のことと言えば、近所オバサンのところにあの『一色コーデオバサン』が訪れていました。また何やら大きな声で一色コーデオバサンが近所オバサンの玄関前でしゃべり続けていたので気が付きました。前は1時間半以上(大袈裟でもなく実際に)しゃべっていたけれど今回はそれほど(それでも40分くらい)ではない長さでしたね。

今回も大きな声なので、内容も私の家の中まで聞こえてきました。何やら今年自治会の役員である一色コーデオバサンが、毎年年末の2日間だけ自治会で行われる夜警(火の用心、マッチ一本火事のもとと言いながら住宅街を知られるあの夜回り)について、聞きにきたようですが(28日にありました。たいてい二日間なのに、今年は一日で終了)、どうも一色コーデオバサンの本来の目的は、近所オバサンが自分ちに(4軒くらい先なのに)来ないことで、『話に来てほしいこと』を伝えたくて来たようでしたね。「最近来ないから」みたいなことを言っていましたよ。

(私の知る限りでは、私の家の前でゴミが荒らされていた話を近所オバサンがしにいったことは知っていますが)

私からすれば、近所オバサン、自分で得た情報を自己満足のため、欲求を満たすため、自分がスッキリするために人と話したいためだけに人を利用して話すのだから、普通の『気軽におしゃべり』なんて考える人じゃありません。

この一色コーデオバサンは、一度は仲が悪くなり疎遠になった間柄なんだから、その辺りわかっているかと思ったらまだまだですね。て言うかこの一色コーデオバサンは『昔からの仲』と言う立場で話すのでしょうが、近所オバサンからすれば、『自分の存在を欲するおばさん』くらいに思っているのでしょう。

見たことを全て情報源に変える近所オバサンと、あまり近所とは接触していない様子の一色コーデオバサン。一色コーデオバサンが、近所の情報が欲しくて寄ってきていることを近所オバサンは十分承知で見ぬいいているので、足元を見て、利用されてたまるか!これからも近寄らないようにしていくことでしょう。それでもただ近所オバサンも自分勝手な人なので、自分が暇になれば、寂しくなればきまぐれに話を聞いてもらいたく、自ら寄っていくことは確実でしょうけど。

実は以前にも同じようなことを言っていた他のオバサンがいました。自転車で来ていた人で、近所の人ではないようです。近所オバサンの家の前から聞こえて来た話で、その人も『最近来てくれない』と嘆いていました。

聞きたくなくても聞こえてくる大きな二人の声の内容では、逆に近所オバサンの家にその人が来た時はいつも二階の部屋で話し込んでいるらしく、二階を見上げながら、「(あそこ)しゃべり場だからいつでも来てよ」と言っていました。

この日は、訪問オバサンを家に上げもせず、それでも1時間近く外で立ち話していました。近所オバサンもこの人も自分から情報を欲しがるオバサンと見抜いたのでしょう。足元を見たのでしょう。

このことを見かけてから、関係ないかもしれないけど少し前までは、この家には誰かが近所オバサン目あての訪問しているらしいことがわかる、駐車スペースに自転車が一台停まっている様子を時たま見かけましたが、最近はほとんどと言って自転車での来訪者で全く見ません。

長時間、家の中でおしゃべりしている人はいないようです。私がタイミング的に見ないだけかもしれないかもしれませんが。それでも全く見なくなりましたね。

近所オバサンからお払い箱にしたのか、それとも相手がこの近所オバサンの性悪本性を知って縁を切ったのかはわかりませんが。

以上、自分が必要とされていると思ったら余計もったいぶる近所オバサンの話でした。でもね、この人の会話のパターンから性格が見えてくると、たいがいは寄り付かなくなります。この人に対する眼力がない私でも、見え見えに見えてくるのですから。ほんとにこの人の思っていることがわかりやすく会話に出てくるのですよ。しかも嫌な性格が。そもそもいい人ではないですから。

長々となりました。最後までお付き合いいただきありがとうございます。

別にこのブログが終わった訳ではないので、来年もこんな風に何かあればブログ記事書きます。

それでは、皆さん良いお年を!!


ごめんなさい。一旦リタイアした気持ちにします。

2024-12-01 18:11:50 | 私のHP

お久しぶりです。こんばんは、ゆみつぐです。

タイトルでは言葉足らずなのでもう少し書き足しますと、

これまで、『私の母の最期の入院中から亡くなるまでの間に起きたことを書いたホームページ』の存在を、ある近所の人に知らせたい気持ちでやって来ましたが、この前あった些細な出来事からもう基本、その人のことを一秒も長く考えたくない、関わりたく気持ちとなってきました。

そう思うようになった出来事は、昔から同じ住宅街に住む高齢の女性が、10月中旬に亡くなったのですが、その人とは生前中の母が近所付き合いのあったこと、その娘さんとは姉が同級生だったことそれに私が自治会に入っていないので亡くなったことを知らないと思ったことから、自治会で回るその人の訃報の知らせを近所オバサンが教えに来ました。

普段ならこのオバサンは私をいない者と扱うのに、今回もちろん呼び鈴を押すことはしなく、明らかに私が外にいるついでと行った様子でやってきて、その人が亡くなったことを教えに来ました。

その話はすでに姉からLINEで聞いていたので、内心このオバサンも私が知らないと思ってやってくるかなと思っていたら、やはりやってきました。

姉から聞いていたことを告げ、教えにきてくれたことへのお礼もいいました。

そしたら、その日私の自治会地区で亡くなった他の人もいらっしゃって(私の知らない人)、そのことを葬儀場の名前まで出して、その葬儀場で午前が私の知っている高齢の女性が葬儀を行い、午後がそのもうおひとりだとか。

私の知っている高齢の女性は『"いろう”までしていた』とかまたベラベラしゃべりだして、自分がどういった類の話をしているかもわからないように、得意げに何だかうれしそうに話している様子が『私は情報通よ』と言った感じで、なんか気持ち悪かったです。不気味でした。

そのあと、急に葬式からの話の連想なのは明らかに、私の体を心配しているようなことを言っているので、『ああ始まった』とぼーと聞いていました。それは、普段から私の存在などいないように振舞う人間が話す内容ではないくらいこっちもわかっているので、かえってこっちが気になって欲しいかのように聞こえてしまう被害妄想の罠に陥りそうでした。

それで最後この近所オバサン、『お互い気を付けましょう』みたいな話のくくり方なら気分よく終えたのに、このババア(とあえて言わせてください)は続けて「自分は(私より)20歳上だけど~)とかなんたらかんたら言いだして、そこから私はもう何も覚えていません。耳は完全にシャットアウトしていました。

どうやら自分の不死身の体を持っていることをアピールしたかったのか?とさえ思う。私も年齢的に、20歳以上とか20歳以下とか歳に病気は関係ないことはわかっているので、私はこの人に病気の話も匂わせもしていないのに病気の話なんてあえてこんな時に持ち出さなくてもいいのにと思ったものです。

帰り際、私のほうが『お互い気を付けましょう』って言ってやれば良かったですが、顔も見たくもないので止めました。さっさと帰って欲しかったです。

そんなことがあって、『嫌な人とはわざわざ関わらない方がいい』というのが今の気持ちです。

その後もこのババア(とあえて言わせてください)が二階でベランダで洗濯物を干している間もチラチラこちらを見て観察していて、こちらと関わらなくても見るだけでも色々情報を得ようとしている感じが丸バレだし、上記のように不愉快に思える内容でも近所のオバサン相手には、気を配っているようなことを言うんでしょうし。

この人と話していつも感じるのは、嫌な印象しかないんです。ねちょーとした感じで、会話した後「あー会話した」といった爽快感がないんですよね。私もたいがいねちょーとはしていますが、わざとねちょーとさせて、楽しんでいるのがこの人なんですよね。

と言うことで、今のところもう(ちょっと日本語が変ですが)相手にしないことにしました。じゃないと精神的にやられてしまいます。

このブログで、私が行動を起こすことをずっと待っていただいていた方には申し訳ありません。こんな感じになってしまいまして。ずるずると延びただけにしてしまいして。

 

これからのこのブログですが、出来れば二カ月に1回くらいのペースで『私が近所で思うひとり言』でも書いていこうかなと思います。別に近所の登場人物は増えませんし、増やそうとも思いません。範囲として近所オバサンの信者くらいにすると思います。もしそれでも良ければこれからも御閲覧をよろしくお願いします。

それでは最後までお付き合いいただきありがとうございました。