破戒僧 黒蓮 人情釣り道楽

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朝起きたらクルマがメチャクチャ汚れていた。

2023年04月17日 19時11分57秒 | 近況

頭にくるなぁ 黄砂の奴めえ>_< 茶色みたいな泥の汚れでメチャクチャや~
まぁ怒ってもこればかりはどうしようも無いんだけどねぇ しかし呆然となるくらいに汚れていた
深夜に大きな音を立てて雨が降ったもんなぁ あの時にいっぺんに汚れたみたいなのだぁ。
まぁ、今年は花粉にしろ黄砂にしろ例年に無い酷い物だねえ 来年はこんな事無いように祈っとこうっと^^;

さ~て今日は少しばかり宗教的に文を書いてみようかなぁ^^;

「私が思う 本尊とは」

まぁお寺には必ず本尊とする信仰の対象があるものだが 同じ宗派の中でも
何派、どこどこ派、と言うように分裂したりしているけど お互いにあっちは偽物だ・・
こっちが本物だとか争いをしていますよねぇ・・私に言わせてみればそんな事は
どうでも良いことなのだ まぁ僧侶が言うことではないと言われる方がいらっしゃるかも知れないが
本当にそう思っている。言わせて貰えば信仰心が弱いから形有る物に頼るのである
仏像や曼荼羅を本尊とするのもいいが それって火を付ければ簡単に燃えてしまうんでは?
若し火事にでもなって本尊と称する物が焼失してしまったら信仰は終わりじゃん(--;)

真の本尊とは火にも燃えず手で破ろうとしても破れないのである
そういう所に安置してあるのだよなぁ・・「えっ?」其れって何処?
と不思議に思われる方がいらっしゃると思うんだが それは信仰する方の胸の中に有るのだ
此処に本尊を置いていればどんなことがあっても消えたりしないのだ
まぁいつまでも信仰心が色褪せていかない限りはだけどねえ^^;
胸の中にあると言っても 人の心は移ろいやすく時が経つと共に色褪せてくる物だが
僧侶は、自分の信仰心が色褪せていかないために毎朝、毎夕に読経を勤め
日々学問をしていくのであります(中には遊んでばかりいる二代目住職とかいますけどね 笑)

例えば佛教というものはお釈迦様が広められた成道への道なんだけど
お釈迦様はいつも佛教を弟子達に教えるために弟子を連れて修行の旅に出掛けられていた。
本尊と称する物を持って旅をされてたわけでは無いのだ。
此の様に佛教を修行するのに絶対に形ある本尊が必要なわけではありません
本尊の答えは「信仰心」そのものなのである その他にもお寺によっては 同じ宗派なのに
火を付けたり 戦をしたりを繰り返していた所もある このことを
「合戦 いとまもなし」と書き記されている文も現存している 
まぁ何処のお寺とかは言わないけどねえ 今でも有名なお寺ですよー(笑)

何故その様に火を付けたり 殺し合ったりするようなことになったのか・・・
実は、御本尊のほかに 本門の戒壇というものがあって(言わば心臓部である道場みたいなもの)であるが
こっちの戒壇が真の本門の戒壇であるとお互いに言い張って争いになってしまったのである
こういうのも私から言わせて貰えば どうでも良いことである 此が本物であれは偽物だとか・・
これ又、本門の戒壇とは「火にも燃えず」なのだ^^ 自分の心の中にあるのだから
自分の心が道場(本門の戒壇)なのだから 人は直ぐに形有る物ばかりに頼ろうとする
目に見えていなければ不安になってしまうようだ

まぁ今夜は何も書く事が思いつかなかったので少しだけ宗教的なものを書いてみました
分かり辛くてゴメンナサイね 特に興味が無かった方には申し訳ないです^^;

其れでは今夜もこの辺で失礼致します。明日も良い一日をお送り下さいませ~
おやすみなさ~い^^/zzz