ついに九州南部でも梅雨明けた。さらに今週半ばには全国で梅雨明けするという、さぁ暑さはこれからが本番、と思うと気が重い。
まずは、大相撲名古屋場所は千秋楽のことから、名古屋場所の優勝争いは関脇・豊昇龍と西前頭9枚目の北勝富士の優勝決定戦に、そして初の賜杯を抱いたのは大関昇進を目指す豊昇龍だった。
埼玉県所沢市出身の北勝富士に期待したが夢は叶わなかった。最後は気迫の差かな、豊昇龍の大関昇進はほぼ確定、これで横綱と二大関がモンゴル出身力士となった。残るはカド番大関の貴景勝だから、下手をすると全員がモンゴル出身力士になるかもしれない。
それにしてもモンゴル出身力士は相撲が上手い、そしてここ一番という時のメンタルが強い、叔父さんの元横綱・朝青龍もさぞ喜んでいると思う。次の横綱は霧島か豊昇龍かそれとも朝乃山かな。
さて、いわゆる"夜ドラ"に『褒めるひと褒められるひと』という15分間のドラマがある。
玩具メーカーに勤める主人公の女性が仕事の失敗て落ち込んで「褒められたい」と呟くとそれを聞いた先輩男性は、それではと褒めることに、でもその褒め方はなんかちょっとズレている。
と、まぁこんな感じでストーリーが進んでいく、20代の女性を取り巻く話なので年代的に少々着いていけない部分があるが、15分のドラマなので、録画して翌日視ている。
最近は尺の長い映画、ドラマは何となくまどろっこしく感じ、朝ドラの15分ほどが丁度良い。
以前良く視ていた時代劇、刑事物などは今は全く視なくなった。勧善懲悪で最後は皆同じ、めでたしめでたしなのだが、実生活には全く役に立たない。こんなドラマばかり視ていると認知症まっしぐらだそうなので、以来全く視ないことにした。
話が逸れたが、やはり人は褒めてもらいたいもの、お前はダメ、あんたは駄目と言われると自己肯定感が減退し、そうだよね、俺、私、駄目なんだよねとなる。
一方、例えば「お前はまるでサッカーの吉田麻也選手みたいで何でも任せられるので助かるよ」と言われると嫌な仕事も断れない。
反対に、「お前はダメだ、こんな大事な仕事とても任せられない」と言ったら人は育たないし、第一自分の仕事の負荷が増すだけ。
一方、人を褒めることは簡単そうに見えてこれがまた結構難しい。人の悪いところ、欠点はすぐ目につくが、良いところ、長所はなかなか気づかない。
落語に登場する幇間、いわゆる“たいこ持ち“は、ご贔屓客の気持ちを忖度し、「いよッ若旦那いつも粋な御召し物で憎いねぇ」と歯の浮くような世辞を言うが、言われた方も悪い気はしない。
今の世の中、誹謗中傷の嵐、デスってバッシングするのが当たり前になった。
立憲民主党のように、全て否定から入る政党が野党第一党の時代、彼らは維新の会や国民民主の人たちとは全く違う。
誰しも否定から入られたら、この野郎と思って身構える、それより、一旦肯定し、でもこの点とこの点は問題だと思うが如何、と言われると検討させてくれと話が前に進む。
つまり、褒めることは相手を認めること、そして自分をも認めることに通じると思う。否定から入る人は相手を認めない代わりに自分も認められない。
自己肯定感、自己認知が高くなると人の美点、長所も見えてくる。ああ、あの人こんな良いところもあったのかぁ、となれば相手もまた違った反応を示す。
日々の人との関わりは、ともすれば面倒なものだが、たった一点でも褒めれば、案外スムーズにいくかもしれない。自分にとっては結構難しいことだが、実践する価値はあるかもしれないと思っている。
今日も良い一日を・・・