2018.9.23(日)
仕事に明け暮れましたが、それでも世間が休みだというのはいいものだ。電話もかからないし、仕事のメールもこない。それだけで気持ちがリラックス。
たまに近くに来る友人が連絡をくれたので、家で少々おしゃべり。
「秋だね~。寂しいね~」
と。
最近通っているラーメン店で3人でチャーハンを食べて、バイバイ。
また、愚痴でもこぼし合おうか。
★ GOING UNDER GROUND 20周年
なんだか、もうとっくに20年は過ぎているかと思った。
スピッツから、力の抜けた、お祝いメッセージ。
GOING UNDER GROUND 20周年記念 お祝い動画メッセージ by スピッツ
以下ではほかのアーティストのメッセージも見られます。
http://www.gug20th.com/
★ 夏祭りと誕生日と敬老の日
先週、相方の運転で母と外出。
ランチの中華丼、3時間後に100gのステーキ。母の胃袋・・・。
デパートの地下に行くと、食べきれないだろうと思われるほどの種類を選ぶ。
そして戻ってきて、笑いながら、
「買いすぎたわね。少し持って帰ってね」
と言う。たいてい、この繰り返し。
普段、節制した食事をとっているし、母は自分の健康をかなり気にするタイプなので、スタッフの人たちは、「好きなものを存分に」と言ってくれるので、大丈夫だとは思うけれど。
骨折する前、自宅にいるときは、少し食が細くなったなと感じていたんだけれど。
「満腹中枢、おかしい?」
前にも書いたけれど、私と相方は今もこの疑問を持ち続けている。
車いすでデパート巡り。
小物入れやポーチ・・・、実家にたくさん残っているんですけどね、でも母はかわいいのを見つけると、手に取って・・・。
車いすでなかったら、今でも一人でデパート巡りをしていたのか、それともさすがに外出の機会は激減していたのか、それはわからない。
夏祭り~誕生日~敬老の日・・・、母にはにぎやかな1か月だったか。
夏祭りのときの浴衣の写真と、誕生日のカードを見せてくれた。
浴衣の母は去年よりもずっと元気そうに写っているし、カードの言葉はありがたいほどに優しい。
私にはとうていできないことを・・・と思うばかりだ。
★ 『新潮45』
https://mainichi.jp/articles/20180921/k00/00m/040/008000c?inb=ys
https://mainichi.jp/articles/20180922/k00/00m/040/016000c
雑誌を購入するのは「う~ん」だし、読まずに批判はできないし、近々図書館で読んでこようか。
★ 松坂世代
https://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20180923-OHT1T50020.html
いいやつだなあ。ニュースで見て、こっちも泣いてしまったよ。
★ 2つのドラマ
まったく異なる趣旨のドラマだけれど・・・。
○「Aではない君と」
http://www.tv-tokyo.co.jp/adehanai/
○「乱反射」
https://www.nagoyatv.com/ranhansya/
「Aではない君と」を観たあとの、体全体を押さえつけられるかのような重さにたじろぐ。
(原作は読んでいないので、あくまでドラマの感想)
被害者家族にも加害者家族にもなり得る現実を、それなりの想像力で感じ取る。
私の見方はあくまで親目線であったことを自覚する。
加害少年の両親の背負う、とてつもなく重く大きなものに、私ならどう立ち向かうか、立ち向かえるか、つきつめて考えるきっかけになる。
そして、「Aではない君」と寄り添って生きていくことだけを心に決める父親の最後の言葉は尊く重い(この父親役、佐藤浩市以外には考えられない)。
また、問題があったかもしれない被害少年の父親も慟哭も心に突き刺さる。子を亡くしたことに加えて、自分の子に何か問題があったとしても、生きていなければ、気持ちを推し量ることも、また本人が生き直すこともできない、という永遠に解決できないものを抱えて生きていかなければならない。こんなにつらいことはない。
ドラマの最後に安易でおざなりな「まとめ」を示さなかったことが、優れたドラマの証明になった。
誰も救われない。周囲の人間もだれも「いい人」ではなかった。世の中、たぶん、こういうものだろうという現実を見せてくれる。それで十分だと思う。
そして、どちらの立場にもなり得る可能性を秘めて生きている私たちなのだと思えば、自分ではないほうの生き物の心情を、理解はできなくてもせめて想像できる生き物でありたいと思うのだ。
「乱反射」の妻夫木聡、井上真央の夫婦が本当にいい空気を見せてくれて、悲しみも怒りも、まっすぐにこちらにやってきた。
こんなふうにいろいろなことの積み重ねで、悲劇も喜劇も起こる。そして、もって行き場のない悲しみこそ、最大の悲劇だ。
最後の場面、家庭ごみを捨てる主人公の目。
自分も、子どもの死のきっかけ(あえて、こういう軽い言い方で)を作ったであろうあの人たちとそれほど遠くはないところで生きているのだということに気づいていない。
滑稽でもあり、怖くもある。
そして、やっぱり自分のことを考えるのです。
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