2018.3.11(日)
■『16歳の語り部』に教えられること
https://www.huffingtonpost.jp/nayuta-ganbe/childrens-earthquake_b_9260214.html
ここには書かれていないけれど、雁部那由多くんはこんなふうに思っているそうだ。
「僕はいつも、自分の体験を誰かに伝えるとき、それが震災のすべてだと思わないでほしいと思いながら話しています。一人ひとり、本当に違うからです」(2018.3.11『朝日新聞』)
「人はみなそれぞれに、異なる気持ちや異なる受け止め方をもっている」
長く生きてきて、私が納得できるたったひとつの思いだ。
雁部くんは震災を通じてさまざまな人や出来事に出会い、若い心で(7年前は「幼い」心で)こんなに早くここまでたどりついたんだね。
私の軽い思いに比べて、なんと深く、そして説得力のある言葉か。
そして、園児たちを一人残らず避難させて「奇跡の保育所」と言われた保育所の所長さんの思い、苦悩。
https://www.buzzfeed.com/jp/satoruishido/etuko-satake?utm_term=.tvqNYW0PNz#.vvBkbYA4kx
賠償金のことでさまざまな言われ方をして出身地を隠して暮らしてきた福島の方たちのつらい日々もある。
いつのときも、同じではない思いや苦しみや怒りがきちんと受け止められることが当たり前のように大切なんだ。その当たり前が、なんて難しい時代なんだろう。
■ 逃げ場所
https://twitter.com/pirate_radio_/status/970254278324502533?s=11
高校生の頃も、大学に通っていた頃も、そして就職したあの頃も、私にはそういう場所があったことを思い出す。お店ばかりではないけれど。
高校の頃は、学校の最寄り駅から次の駅までの田んぼの中の道(東京なんですけどね。郊外にはたくさん「人のいない場所」があったな)。
大学のときは、街のはずれにあるちょっとおしゃれな木の匂いの心地よい喫茶店と、たばこのけむりで煙る古い喫茶店。ジャズが流れる空間で少し背伸びのころ。何時間も文庫本を読んだりぼんやりして過ごした。
就職1年目の昼休みに週2くらいの割合で行っていたのは、いつもすいているイタリアンのお店。おじさんとおばさんがときどき喧嘩してたっけ。食事のあと1時近くまでゆっくりできるので、ときどき同期の誘いを断って隠れにいった。あんまりすいていたし心配だったんだけど、翌年には「長い間ありがとうございました」の張り紙に寂しい思いをしたなあ。
逃げ場所は大事です。誰にも知らせないで、友達にも隠しておける場所を見つけて、そして新生活を送りましょう。
今日は出かけるので、『ロック大陸漫遊記』予約しました。
どんなバンドのどの曲を聴けるのか、楽しみですね。