2022.08.19(土)
施設にいる母からハガキが届く。
数か月前までは、毎土曜日に届ける私の手紙にときどき返事を書いたり、ほしいものを知らせてきたりしたけれど、最近はリモートでメモを読んで伝えることが多くて、ハガキは久しぶりだった。
とくに何かあったわけではなく、ここ数回の手紙の中で私が伝えたことへの感想や「お世話かけちゃったわね、いつもありがとう」や、相方への「いつもお世話さま」の文言。
7月に母が仲良くしていた姪のような存在の女性が亡くなった際に、そのことはのちのち伝えようと思い、体の調子があまりよくないことと、認知症がかなり進んでいることだけを軽く伝えたのだが、母も知っていたはずの彼女の認知の状態を忘れていたらしく、ハガキの最後には「大ショック。あの〇〇ちゃんがね」と付け加えてあった。
母に直接会えなくなって2年余りが過ぎ、そのあいだに母の親しい人が5人も亡くなったことになる。そして、それを伝えられないままに、時間ばかりが過ぎる。
母の友人のことなのに、娘の私のところで操作していいの?というジレンマも、そろそろマンネリだ。私自身が心を痛めるときとそうでないときで揺れている。
幼いとばかり思っていたのに、小学5年にもなれば、彼女たちは十分に子どもではあるけど、それでいてどこかクールで別の視点を持っていたりして驚いたり新鮮だったり。
年老いた(笑)友人たちと話すより違う刺激をもらったり。
当たり前だけど、気持ちの微妙な部分を彼女たちと共有することはできないけどね。
中井久夫さんが亡くなる。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202208/0015542585.shtml
30年くらい前の精神科系の雑誌の創刊に携わったときに、主幹として支えてくれた方だ。
打ち合わせのあいまに話してくださることが柔らかくて気を抜いていると、急に厳しいことを発言されたり。
年に数回の打ち合わせが何年か続き、そのときにメモしていたノートを今度の休みに探して、読んでみよう。
ご冥福を。
今年の夏も、マーシーのアルバム『夏のぬけがら』で。
今朝5時に起きて部屋の中を整理したあと、ベランダの椅子で「夏が来て僕等」を聴く。
こんな年齢になっても、やっぱり夏の一曲といえば、この曲。
不安も切なさも知り始めていたあの頃のワタシに戻らせてくれる。
ワタシにとっての「終わりなき午後の冒険者」の相棒は1つ違いの弟で、夏休みの残りの日数を数えながら、ときどき切ない気持ちを抱えながら過ごしていた。
いつも夏の日々を思い出すたびに、語り合えるはずだった弟がすでにいないことを思い知る。
急に大人になったあの夏ではなく、その前のまだまだ幼かった弟の夏を、ワタシだけは覚えているよ、と、どこに向かって語りかけているんだろう。
「夏が来て僕等 成長のドアを足で開けた♪」
なんてすごい歌詞なんだろう。
https://blog.goo.ne.jp/kakera1221/e/2342f88e350227a554da5b6e5d699ab3
この年から、毎年「夏が来て僕等」を書いている。
『ロック大陸漫遊記』でも、「夏ロック特集」でこの曲を選曲してくれました(ココ)。
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