2019.10.27(日)
明け方の5時まで、古い貴重なプリンターを復活させるべく、相方と私と息子たちで悪戦苦闘。
あたりが明るくなって戦いは終了し、恥ずかしながらの達成感の末に解散となりました。
◆〈ありがとさん〉
あのハードなイントロから、こんな切ない美しい、そして物悲しいラブソングは予想できなかったな。
アウトロも結構重めな音の集まりだし。
作者は、「年齢相応の恋のうた」とか「オレが若い恋を歌ってもキモイだけ」とインタビューで語っていたけれど、やっぱり「大人の恋」の歌にはきこえない。・・・というか、あくまで私自身は、そういうものをスピッツに求めていないのかもしれないな。
スピッツの曲の虜になった人たちが、どの年代であっても、どう想像しても、それぞれにぴったりくるシチュエーションがあって、そのときの揺れる胸の中や、過去の思い出やまだ来ぬ日々への憧れ・・・そういうものをひっそり満たしてくれる。
きっとそれがスピッツ。
だから、〈ありがとさん〉で、大人の恋の終わりを想像できる人も、青い二人がいっとき暮らした部屋で一人まだ立ち直れずにいる若者の姿に寄り添える人も、そしてもっとさまざまなまったく異なる景色の中で「いいなあ」と思う人もいるんだろう。
私の好きな「そん時は化けてでもとどけよう♪」。
静かに流れるなかで急に「化けてでも」・・・。ギュっとどこかをつかまれるような、ザラッとした掌で背中を触られるような、この感じが「スピッツ」の真骨頂だ。
単純に言葉選びのおもしろさを感じていたら、だれかのレビューで「主人公は死んでいる」とあって、え、それは考えすぎ。この「化けてでも」から「死」は連想しないよ、なんて笑っていた私。だからこその「化けてでも」のおもしろさじゃないか!とか言って。
ところが、雑誌のインタビューで、作者は「死んでいるほうの人間からの視点」という設定を語っているではないか!
「去っていった恋人と取り残された若者」の映像は今でも私の中にあるから、それはそれでいいんだけどね。
ちょっと笑ってしまい、とても愉快な気持ちになりました。。
「似たようで違う夢の話 ぶつけ合ったね♪」は、〈アパート〉の「誰の目にも似合いの二人 そして違う未来を見てた二人♪」にも通じる、青い二人の暮らしの果て、のように聞こえて、私は一気に、ン十歳も若返ります。
そして、「お揃いの大きいマグで♪」は「お揃いのお決まりで」と聞いていましたとさ(笑)。
当分続くだろう、『見っけ』祭り。永遠に?と思ってしまうくらい。
騙されたと思って(笑)、あなたもいかがですか?
◆ 文科大臣の「身の丈」発言
https://dot.asahi.com/dot/2019101800113.html?page=1
「共通一次試験」→「大学入試センター試験」→「共通テスト」などなど、名称やシステムやテストの内容の変遷はさまざま批判にさらされ、見直しの繰り返し。
それにしても、このインタビューに答えている高校2年生の分析や実情を訴える冷静さに脱帽。
それに対して、テレビで「身の丈に合った」発言をした萩生田文科大臣。
「裕福な人は何回も民間試験を受けられるんじゃないか、と言われているけれど、それなら、予備校に行ってずるいじゃないかということになる。だから、私としては身の丈に合わせて(きちんと回数を選んで)勝負してもらえれば」
「身の丈」とは、どういうことなのか?
「自分の置かれた経済的な環境に合わせて、たとえ一回しか受けられなくても、そこに集中してがんばれ!」ということか。
教育の平等をうたうべき政治家の発言として、憤りと恥ずかしさを感じる。
教育格差をどうにかしなくては、と考えるよりも、決まってしまった英語の民間試験採用を擁護するほうに必死な、悲しい政治家の姿。
こういう発言をする人に文科相としての資質はありますか?
英語の民間試験実施は再考すべき。
そして、この番組で「身の丈」発言をスルーした進行役は、この発言をどうとらえたんだろう、ジャーナリストとして・・・。
千葉の市原で動いてきた二人の話をきく。
まだまだいろんな手が求められているようだから、すぐは無理だけど、近いうちに・・・と思う。
それから、箱根は好きなところだから、遊びに行こう、今だからこそ。