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隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

「訃報」と「差別を越えて」

2010年01月21日 00時28分44秒 | 日記
2010年1月20日 (水)


■美形だけど…
 元阪神の投手で、日ハムのピッチングコーチの小林繁さんが亡くなった。
 「江川事件の一方の主人公だけど、そればっかり語られるのもなあ」とプロ野球ファンの知人。
 「とにかくかっこよかった。しなやかな体つきで甘いマスクで」と遠い目で語る、これもプロ野球ファンの、こっちは女性。
 いろいろな記事を読んで、最近のピッチングコーチとしての活躍を知る。
 19日の『朝日新聞』の「天声人語」の追悼文がちょっと泣けた。
 「運命の神さまのノーコンぶりに涙が出る」と。
 美形だったけど、職人のようなピッチャーだったのですね。


■差別
 父の郷里、京都の丹波を小学校の頃訪ねたときのことを思い出す。
 小高い丘から一方の集落を指して、幼い私たちに語った被差別のこと。若くして故郷を出た父だったが、いくつかの忘れられない体験を話してくれた。そのときは不思議な話を聞いているような記憶しかないが、その後、友人の話や本などで知識を得るにつれ、あのときの話が蘇ってくるのを感じたのを覚えている。
 今回の『朝日新聞』の「人脈記」をきっかけにいろいろ調べてみたけれど、20年くらい前にみた今井正監督の衝撃的な映画「橋のない川」が、初上映の頃には「差別助長映画」として解放同盟などの団体から大きな非難を浴びていたことを、今知った。
 忘れられないシーンがある。火事の原因をつくった少年の死、それをきっかけに買った消防ポンプで集落対抗の提灯落とし競技に参加した被差別はみごとに優勝するのだけれど、地元の人たちに優勝旗を破られてしまう。
 あの提灯落とし競技での人々の必死の表情、高まる興奮、そしてそのあとのやりきれない悲しさ、悔しさ。
 そういう感情だけで語るには根深い長い歴史をもった理不尽な問題なのだろうけど。
 それにしても、あの映画がなぜ「差別助長映画」とされたのか、私にはわからない。
 「人脈記」では、今でもカミングアウトに勇気がいること、でも「エイっと踏み出さないと…」と語る若い出身者の発言とポートレートが載っている。
 フリーライター、角岡伸彦さんが言う、「言ってしまうと、らくちん。もともと差別は、違いがないのに、あると言って差別する、へんてこりんなものだから」。
 その「へんてこりんなもの」はちいさくなったかもしれないけど、消えてはいないらしいのだ。


 今井正監督で思い出した。映画「キクとイサム」を見たときの衝撃を。映画のテーマは重かったけれど、あの姉と弟とそしておばあちゃんの土臭さとたくましさは軽やかでさえあった…(昔のことで、定かでないところも多いのだけど)。

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