隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

街をも巻き込んだ? 「失われた時間を求めて」 (阿佐ヶ谷スパイダース)

2008年05月24日 13時49分40秒 | ライブリポート(演劇など)
「失われた時間を求めて」 (2008年5月22日、at ベニサンピット)
      阿佐ヶ谷スパイダース presents
作・演出  長塚圭史
出  演  中山祐一朗/伊達暁/長塚圭史/奥菜恵





★キーワードは「時」?
 不思議な世界の浮遊してきた。
 前に「イヌの日」のレビューで書いたけれど、長塚圭史作の戯曲は過去と未来を行ったり来たりする一筋縄ではいかないテーマをもちながらも、エンターテインメント?といいたくなるぐらいストーリーが際立っている。キラキラしている。「悪魔の唄」もそうだし(再演してくださいっ!)、暴走する男たちシリーズの「日本の女」「はたらくおとこ」「少女とガソリン」は物語の展開のおもしろさにヤラレタ記憶あり。「桜飛沫」の妖しげな世界にも物語のエッセンスがちりばめられていたっけ。阿佐ヶ谷スパイダース作品ではないけど、私の大好きな「LAST SHOW」の伏線まで用意したストーリーテラーぶりには脱帽でした。
 それに、たとえ奇想天外ではあっても、登場人物のキャラが見事に描かれているところが、長塚ワールドを私たちの近くの存在だと思わせてくれるような…、勝手にそんなふうに思っている。
 今回は、ちょっと趣の違った世界をステージ上に築き上げていたような気がする。テーマも結末も私たち観客に委ねられ、私たちは各々の「失われた時間」を獲得していいのかもね、と。
 過去にとらわれ、それでも今を、今の自分を探し悶々とする男(中山祐一朗、緩やかな中の狂気という面では、いつもの中山さんという感じかな)、昨日いなくなった飼い猫を探す兄(長塚圭史)と、その猫は記憶にないくらい昔にいなくなったままだよと言いつつ、時の流れなど達観しているかのような弟(伊達暁、いつもながらの深い地の底から聞こえてくるような声。憎らしいくらいの冷静さ)、「つまらない女」な自分の日常を捨てて飛び出したあげく猫を探す男に執拗につきまとう女(奥菜恵、「橋を渡ったら泣け」の個性皆無な役より、今回は数段はじけていてよかった。もっとはじけても大丈夫かも?)。
 ね、つかみどころのないやつらばかりでしょ? いつもの疾走する長塚作品とはちょっと趣を異にするもののような気がする。
 で、そういう人たちが三方向にトビラのある空間を出入りしつつ、それぞれに出会った者どうしの日常性のない言葉がやりとりされる。そのやりとりの中で少しずつ人物の背景がかすかに浮き彫りになり、何を捨てたがっているのか、何をほしがっているのかが想像できるようになる。
 その空間にはベンチと街灯とゴミかごがあり、枯れ葉が何枚も散らばっている。公園?と思えばそう思えなくもない。でもドアもあるし、ひょっとして部屋?と思えばそれでもいいのだろう。
 四人はその空間では顔を合わせることができるけど、そのドアたちを出てしまえば、違う時間を生きている違う時代の人たちなのかもね。兄と弟といっても、探している猫は昨夜いなくなったのか、記憶のかなたにいなくなったのか、そんなふうなのだから。
 中山さん扮する男が、「近くにあるものを遠くにおいやって、遠くにあるものを近くに引き寄せる」というようなことを言っていたのがなぜか印象的だった。失われた時間は、そのあいまに連なっているのかもしれない。
 自己と向き合おうとする痛々しい努力とは裏腹に、他者への関心は希薄なのだろう。奥菜恵扮する女も、猫探しの男につきまといながらも、視線はどんどん自己の内面に戻っていく。
 枯れ葉をいとおしそうに拾っては、「これは残しておくもの、これは捨ててしまっていいもの」と選択している姿がちょっと厳かだったな、それまでの煩雑な言葉のやりとりのあとで。
 そういう選択を、私は今までしたことがあったかな、なんて。


★この街でこの芝居を上演する意味



 この写真、ちょっと、というよりかなりレトロでしょ?
 この芝居が上演された「ベニサンピット」のすぐ近くの風景。ちょっと写りが悪いけれど、この家屋にはもう人は住んでいなくて、建て壊しを待っている状態? あるいは放置されて何年、という感じなのかな。
 地下鉄新宿線の森下駅の階段をのぼり、大通りを少し歩いてセブンイレブンの角を右に入ると、急に街が生気をなくす。人の暮らしの匂いや働く人の残り香が感じられない不思議な通り。車の行き来もなく人通りもなく、かろうじてあるのは「ベニサンキット」に向かう人の影。アパートの窓に灯りはあるけど、なんであんなに無機質なんだろう。
 行きもそんなだから、芝居で時空を越えてきた私としては終演後のこの街の雰囲気にのまれ、「ひょっとして長塚さんは、この通りを歩いてか帰るところまでを想定してたの?」などとあらぬことを言いだす始末。
 同行の人は「今夜は『阿佐ヶ谷スパイダース』ならぬ『難解スパイダース』だったな」と楽しそうに笑ったあとで、私の「帰り道まで芝居のしちゃう長塚論」を一笑にふし、「自分の郷里なんて夜の通りはこんな感じだよ。考えすぎ」といとも簡単にかたづけたのである。そういうのとは違うんだけどなあ…。
 ちなみに下は、ベニサンピットのある建物の路地。スタジオがたくさん入っている古いビルです。ここも趣ありすぎ。



 「ベニサンピット」は下北沢でいえば、「ザ・スズナリ」くらいのスペースと雰囲気の小屋です。

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