□□お暇なら来てね。□□

□□韓流(パク・ヨンハ中心)、など興味の向いたものを紹介□□

恋歌MV

2008-04-03 12:15:29 | パク・ヨンハ
ようやく発表されましたが、昨日以上の詳細はまだありません。
HPのオープンを待つしかないのかな。

□SFJ 3日更新
・NEWS 「『恋歌2008』プレミアムコンサート ゲスト出演決定」
 10日(木)12:00~グランドオープン 「『恋歌2008』プレミアムコンサート

「恋歌」MVが観られます
ウチではMnetが見られないので、こちらで視聴できて嬉しい~。
・「MUSIC Mnet
  01 「Super Star 超新星」
  06 「눈물이 흐른다(涙が流れる) FTIsland」
  07 「보고싶어(会いたくて) sg WANNA BE+」
  47 「하나의 사랑(一つの愛) チュ・ソンフン」

・中央日報 「『2008恋歌』の新曲4曲を確定」(4.4)
  CD4枚セットの『2008恋歌』には、03年以降人気を博した歌謡68曲と新曲4曲、総72曲の歌が収録。
  新曲4曲は、
  秋成勲(チュ・ソンフン、秋山成勲)「一つの愛」
  SG WANNA BE 「会いたい」
  FTIsland 「涙が流れる」
  超新星(チョシンソン) 「スーパースター」


(おまけ)こちらはヨンハではありません。
制服姿がカブると友人からメール。フフフ
遼くん、少しふっくらしたのでは。
・「遼クン「制服カッコいい」地元埼玉の吉川署で一日署長

凄い企画があったのですね
・innolife 「「もう一度『冬ソナ』に会いたいツアー」出航
  秋元康のプロデュースで、3日から5日まで2泊3日間、船に乗って『冬のソナタ』20話を鑑賞

おめでとう!!!
・innolife 「【視聴率】水木ドラマ『オンエア』、 独走体制
・中央日報 「『オンエア』21.6%、水木ドラマ視聴率1位
・朝鮮日報 「視聴率:『オンエア』連日自己最高を更新
  SBS 「オンエア」2日21.6%、 26日20.1%、19日16.7%、13日18.9%、12日14.7%、6日15.2%、5日13.4%
  MBC 「どなたですか?」 2日8.5%、26日7.1%、19日7.9%、13日12.4%、12日9.5%、6日10.0%、5日10.4%
  KBS 「パパ3人ママ1人(新)」2日5.4%、「快刀 洪吉童」 26日(終)13.8%、19日14.5%、13日(野球)6.8%、12日14.5%、6日16.0%、5日15.4%

□SBS On Air
・「フォトスケッチ」 3日
・「予告篇
 (10話あらすじ)3日放送
  ツ・ヨンウが抜けた席にギョンミンは新人俳優を起用する考えをして、
  ヨンウンは新人は絶対駄目だと固執する。
  ヨンウンの固執が折れないでギョンミンは監督を変えようと提案して、この話をカン局長が聞く。
  カン局長はヨンウンとヘギョン(ドリームハウス代表)と会って、プロにアマチュアを付けて仕事がうまく行かないと監督を変えることを提案する。
  スンアの英語勉強を手伝ってくれたエイドンは混血俳優の限界を感じて
  アメリカに帰る準備をして最後にキジュンの事務室に立ち寄って挨拶をする。
  そんなエイドンを見たキジュンは、翌日空港までエイドンを捜しに行って
  キジュンはヨンウンとギョンミンが見る監督のオーディション席にエイドンを出したが。。。


昼ドラ「エア・シティ」でも今日はヨ・ホミンさんが登場していました~~~。
・「ヨ・ホミン‘オンエア’に浮気者撮影監督でいきなり投入
  ヨ・ホミンは‘オンエアで劇中ドラマ‘チケット・トゥ・ザ・ムーン’の撮影監督で登場して
  トップスターオ・スンア(キム・ハヌル)とドラマPDイ・ギョンミン(パク・ヨンハ)の自尊心対決に
  新鮮な活力を吹き入れてくれ人目を引いた。
  ヨ・ホミンは3日放送分で‘チケット・トゥ・ザ・ムーン’の台湾ロケ場面で
  カメラでスンアの足を露骨的にクローズアップするかと言えば、
  女スタッフたちを相手に派手だった自分の夜文化経歴を誇る姿を見せてくれて、新しいキャラクターを披露した。
  ‘オンエア’実際の撮影監督はヨ・ホミンに対して
  「ヨ・ホミンは撮影監督でデビューしても劣らない」
  「リアルな演技と現場で努力する姿勢に惜しみない拍手送る。
  劇中キャラクター程、実際でも現場で雰囲気メーカー」と賛辞を送った。


~ ジョンミン、誕生日おめでとう!!!
1987年生まれ、セクシーカリスマもなんと二十歳ですよっ。ヒッヒッヒ
SS01は、韓国で週末(土曜:教保文庫、日曜:現代百貨店)に握手会があるようで。
脱スキャンダル宣言を先日した彼らですが、リーダーは記事が出てましたね(否定のでしたが)。。。

男女3人組の人気グループ「コブギ(Turtles)」のリーダー、
タートルマンことイム・ソンフンさんの出棺が4日、家族や仲間の見送る中、行われました。
37歳ですよ。。。私は今38なので急性心筋梗塞で亡くなったということにもショックを隠せない。
御冥福を祈ります。。。
3日午後、弔問に訪れたSS501
・「SS501、良い兄さんだったが。。。

今、桜が満開です。
大家が植えた桜並木なので木の下で宴会みたいのは出来ないけれど、
景観は見応えあるし花の色のせいか辺りも明るく感じます。
ジョギングや散歩、ウォーキングの人たちも、今はより多く通って行きます。
コメント (7)
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韓流ストーリー1,2

2008-04-03 12:00:28 | パク・ヨンハ
ヨンハのインタビュー。
2日のも1つのエントリでまとめました。
長いのでコメントを中心に翻訳機から抜粋。

・「機会の地 日本安着 “風情をギサム?分かってみれば努力派”(パク・ヨンハ韓流ストーリー(1)
Yahoo!翻訳
  成功秘訣は?冬恋歌 + 韓流ブーム + α
  パク・ヨンハに願っても願わなくてももう韓流スターという修飾語を学び終わることは難しく見えると問ったら
  にんまりと微笑んで「ただ感謝するのみ」と言いながら謙遜にくちを切る。
  パク・ヨンハは自分の韓流成功秘訣は「三拍子がきっかり合ったから」と説明した。
  パク・ヨンハは「日本芸能界に進出するというよりは招かれて挨拶のため日本へ行きました。
  初めには500~1,000人位来ないか期待したが到着して見たらファンが8,000名も来ているのです」
  と言いながら感嘆した。
  「とてもいい気分だったです。想像もできなかった。
  信じられないことが私の前に開かれているのにあまり驚いたし、感動が押し寄せて我知らず涙が出ました」
  「その時からは精神がぴかっと持つんですよ。もうちょっと深思熟考するようになったんです」と言った。
  「単発性ポピュラーかも知れないが、新しい所での機会と考え」と日本市場に公式的に門をたたいたパク・ヨンハ。
  “韓国最高の歌手”とプロフィール紹介されてきたことに苦笑して
  「率直に話しました。‘実は私はOSTを歌って歌手になったのだ、あまり有名な歌手ではない」ですって。
  そうだったがむしろ彼らは謙遜だともっと賞賛をしてくれるのですよ。どんなにきまり悪かったか」
  パク・ヨンハは結局‘謙遜な男’というイメージまでオマケで得るようになった。
  作戦が成功したことなのかと皮肉に聞き返すとパク・ヨンハは真摯な言いぐさで
  「イメージが良くなったのは良いが、実力より名前だけずいぶん上って来るのは嫌いだったんですよ。
  たくさん負担だったんです」と打ち明けた。
  パク・ヨンハは自分の日本活動歩みを‘階段’に比喩した。
  インタビュー始終階段という言及を何回繰り返したパク・ヨンハは
  「私がここまで来たことが決して運だと考えないです。本当に努力をたくさんしたんですよ」
  と言いながら断固たる態度を見せた。
  「ファン愛に感動してこっそりにやっとした事がある」と照れくさがった。


・「山越えまた山、スランプ克服後期は?“長い間修養した気持ち”(パク・ヨンハ韓流ストーリー(2)
(「Yahoo!翻訳
  パク・ヨンハがおよそ5年の間日本活動に力を注ぎながらいざ韓国ファンたちは彼の姿を易しく見られなかった。
  ファンはパク・ヨンハを'俳優パク・ヨンハ'よりは'韓流スターパク・ヨンハ'で認識し始めた。
  これはパク・ヨンハが一番恐ろしがった部分でもある。
  日本に上陸して期待以上の歓待を受けたというエピソードを公開したパク・ヨンハは
  「日本で私の能力以上に過大評価を受けながら感じた負担になることは、
  私の実力で飛び越えようと思ったんです。おかげさまですごく努力しました」
  「韓国考えがしきりに出ました。
  率直に韓国から俳優パク・ヨンハでまともに位置づけることができなかったが、
  ぎくっと韓流スターという名前を先に得るようになって、
  後で韓国に帰った時どうすれば良いがと言う心配が大きかったんです」
  「日本進出してから2年位経ってからは早く韓国活動をしなければならないという考えに捕らわれた。
  気持ちは山々だったのに到底時間が出ない。
  良い作品とシナリオが入って来ても日本スケジュールのため諦めるしかなかった」
  しかし気苦労が手強かった。
  パク・ヨンハが韓国で日本活動準備で玉の汗を流している時も内幕が分からない人々が
  "活動しなくて何をするのか、遊ぶのか?"声を掛ける時なら悩み苦しんだりしたと。
  「私もそうではなくても韓国で活動したいが、速度分からなくて。。。」と言いながら言葉を濁ごした。
  20代から 30代に移る、人生の重要な転機と言えた当時パク・ヨンハは
  「本当に深刻に悩んだ」「(日本活動を続いては)これから韓国で活動しにくいという心配が入っていた」
  「私のようなスタイルが韓国に帰れば何ができるか?」という自己恥辱感におぼれたりしたと。
  心みたいではない状況と韓国活動に対する渇望、懐かしさに鬱病を病んだりしたパク・ヨンハは
  「ドラマや芸能プログラムも見なくなっていたよ」と当時を思い浮かんで切なさを催した。
  日本にいる時は韓国にパク・ヨンハという人がいないようだったと、また始めるのが恐ろしかった時期もあったが
  1年に3、4ヶ月位の日本活動期間、私生活なしにただ仕事にだけ集中。
  歌手としての歌演習は言うまでもなくて、外出する時しこなしに気を付けるだけでなく好きなお酒も口に全然つけない。
  徹底的な自分の管理で雑念を忘れて現在に沒頭して時々尋ねて来るスランプを勝ち抜けた。
  「振り返えて見るから必ず修養したようですね」と言いながら笑う姿でいっそう成熟になった肯定的な態度をうかがうことができた。
  「本当に遅く進行されたようだが、今考えてみたらあっという間に 5年が過ぎ去った」
コメント
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